巻頭の言葉

愛知専門尼僧堂堂頭

青山俊董あおやま・しゅんどう

宇宙船地球号という
一つ船に
乗り合わせた兄妹きょうだいとして

2025年12月号

特集
涙を流す
涙にもいろいろな涙がある。嬉しい時も悲しい時も、人は泣く。

口惜くやし涙、無念の涙もあれば、喜びの涙、感動のあまり流す涙もある。人の生は常に涙と共にあるといってもよい。

心しなければならないのは悲しみの涙である。悲しみの餌食えじきになって、人生を誤る人も多いからである。

悲しみの涙といえば、忘れられない話が2つある。

釈迦しゃかの時代に生きた人に、キサーゴータミーという若い母親がいた。

ゴータミーは赤ん坊を産んだが1週間もしないうちに死んでしまった。悲しみに打ちひしがれた彼女は赤ちゃんを抱きしめて「私の赤ちゃんを生き返らせる薬を下さい」と村中を歩き回った。気の毒に思った村人が「お釈迦さんなら薬を持っているかもしれないから行ってごらん」と教えた。ゴータミーは森の中にいた釈迦を訪ね、生き返らせる薬をと頼んだ。釈迦はいった。

「わかった。その薬をあげよう。しかしその薬を作るには白い芥子けしの種が必要だから、それをもらっておいで。ただし、その芥子の種は今まで1人も死者を出していない家の芥子でなければだめですよ」

ゴータミーは急いで村へ帰り、家々を訪ねお願いした。どこの家も芥子をくれようとしたが、死者を出していない家は一軒もなかった。その時、彼女ははっと気づいた。
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