2021年12月号
特集
死中活あり
インタビュー③
  • こと京都社長山田敏之

農業界に新たな活路を拓く

農家は儲からない。そんな考えを一蹴したのが九条ねぎだけで年商20億円のビジネスを手掛ける「こと京都」の山田敏之社長だ。1995年に脱サラして就農、様々な苦労を経て、独自の農業経営を確立してきた。現在に至るまでの試行錯誤の道程を伺う中で見えてきた山田社長の覚悟から、成功の要諦を教えられる。

この記事は約11分でお読みいただけます

やるからには年商1億円のビジネスを

——京都の伝統野菜・九条ねぎの専門店「こと京都」は、六次産業の成功事例として数々の賞を受賞されています。

ありがとうございます。生産(一次産業)のみならず、加工(二次)、流通・販売(三次)にいたる一貫経営で、六次産業化(1×2×3=6)を実践し、付加価値を高めています。
いままでの農業は分業がほとんどで、激しい価格競争の中、見た目や日持ちだけで判断されるのが常でした。つくることには手間ひましまず努力をしても、売ることに関してはことに苦手な農家が多いんです。自分でダイレクトに販売できれば鮮度も保てますし、本来の味のよさやストーリーを伝えることもできます。何より、自分でつくったものの値段を自分で決められる、ここが一番の大きな違いです。新たな農家の生き方として、独自路線を突き進んできました。

——新しい農業経営のあり方を模索されているのですね。既存の仕組みを変えるのはひと筋縄でいかないことも多かったのでは?

地域によってはJAにおろさなかったら売り先がないようなところもあるようですが、京都市内には以前から直接市場に持っていく流れもあったので、比較的やりやすかったと思います。
一般的に「農産物は加工したら売れる」と思われがちですが、全くそんなことないんです。きちんと魅力やストーリーを伝えない限り、いくら加工しても売れません。まずは「自分たちでつくったものをどう売るか」、この販売に力を入れていくことが、これからますます重要になってくると思います。

——つくって終わりでなく、販売にも力を入れるべきだと。

僕は京都の農家の次男坊に生まれ、小さい頃から両親が苦労している姿を見てきたので、絶対にこんな仕事はしないと心に決めていたんです。ところが母が交通事故に遭って入院するなど様々な事情が重なり、1995年、32歳の時に就農することになりました。その時こう決意しています。
やるからには最初から法人にして、休みもなく毎日畑に出るという旧来の働き方ではなしに、しっかりとプライベートも持てるようにしよう。そして、一経営者として事業を興すからには年商1億円のビジネスにしよう。それが可能かどうかではなく、あくまで男が人生をして勝負をするなら、1億円くらいの規模を目指したいと。そう目標を立てたことが、いまの私を築き上げてくれました。

こと京都社長

山田敏之

やまだ・としゆき

昭和37年京都府生まれ。大阪学院大学商学部経営学科卒業後、アパレルメーカー勤務を経て、平成7年に就農。14年有限会社竹田の子守唄を設立。19年こと京都株式会社に社名変更。27年九州大学大学院生物資源環境科学府修士課程を修了。著書に『脱サラ就農、九条ねぎで年商10億円』(PHP研究所)がある。