2021年12月号
特集
死中活あり
インタビュー②
  • 志摩市民病院院長江角悠太

「患者を絶対に断らない」

この誓いが人と地域を変えた

毎年億単位の赤字を重ね続ける中、医師が一斉に退職、閉鎖やむなしと思われた志摩市民病院。しかしそこに一人残った34歳の若き医師が、病院の再建に成功する。「世界平和」という壮大な夢を真剣に描き、すべての人を幸せにしたいとの思いから地域医療に飛び込んだ江角悠太氏だ。落ち込んだ職員の心、地域の活力をどう引き出したのか。その軌跡に迫る。

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「人生は人のために使いなさい」

——このコロナで、どこの地域医療も大変だと聞いています。

医療崩壊などが報じられていますが、やっていることはコロナ前と大して変わりません。一番大変なのは飲み会ができなくなってコミュニケーションが取りづらくなったこと(笑)。大病院であれば上下のヒエラルキーが確立されているので関係ないかもしれませんが、うちのような小さな病院は皆で話し合いながら切磋せっさ琢磨たくまするところによさがあります。病院経営は院内のコミュニケーションに尽きると私は思っています。

——江角さんはどういうきっかけで医者を志されたのですか。

両親とも医者の家系だったのですが、小学4年生に上がると、共働きで家に帰らない両親の代わりに、私が幼い弟の面倒を見なくてはならなくなりましてね。そんなこともあって医者には絶対になりたくないと思うようになったんです。反抗期には学校で何かと悪さをして怒られ、時には警察にちょっかいを出して追い回されるのを楽しんでいました。いま思えばそうやって自分の存在を確かめていたのでしょう。
そんな時にたまたま観たのが『パッチ・アダムス』という映画でした。高校3年の春でしたが、あの映画を観た時「自分もこんなふうに生きてみたい」と思いました。その日は家に帰ってひたすら頭を整理して、夜が明ける頃には医者になろうと決めていました。

——それほど魅力的な作品だった。

こういうシーンがあります。がんの終末期のおじいちゃんが昔サファリのハンターだったと聞いた医者のパッチ・アダムスが、バルーンで象や鹿をつくってゴムのピストルで撃たせてあげるんです。もう一度ハントをしたいという願いをかなえてあげたわけですね。
死は必ず訪れるものだから、医者は死期を延ばすこと以上に生の質(QOL)を高めることを考えなければいけないという考え方が、私の価値観とすごくマッチしたんです。高校時代、私は自分の好き勝手に生きていました。自分の人生は自分のためにあるのだから、楽しむべきだと思っていました。パッチ・アダムスはそんな私の価値観をくつがえしたわけです。
また、それは自分が物心ついた頃から叩き込まれていた価値観と同じだと気づきました。悪さをして説教を受ける時、両親や祖父母からいつも「お前の人生はお前のためにあるんじゃない。人のために使いなさい」と言われていたんです。医者になった理由を聞かれた時に「世界平和を実現するため」と言っているのも、それがバックグラウンドになっています。

志摩市民病院院長

江角悠太

えすみ・ゆうた

昭和56年東京都生まれ。平成21年三重大学医学部卒業。沖縄県中部徳洲会病院での初期研修を修了後、23年より後期研修医として三重県内の地域基幹病院、大学病院で研修。26年12月より国民健康保険 志摩市民病院に着任、28年4月より同病院院長に就任。全国自治体病院協議会三重県支部長。地域包括ケア病棟協会理事、TAO(地域創生医師団)団長、未来の大人応援プロジェクト理事、東京医科歯科大学臨床准教授、三重大学医学部臨床講師。