2020年2月号
特集
心に残る言葉
  • 明達寺住職、暁烏家当主暁烏照夫

暁烏 敏の言葉が教えるもの

様々な分野に多彩な才能を発揮し、近代日本の仏教・思想・文化に大きな足跡を残した浄土真宗の僧侶、暁烏 敏。母親が亡くなった時に詠んだ和歌「十億の母」は、多くの人々に愛誦されてきたが、その生涯や人物像を知る人は少ない。明達寺住職で暁烏家当主の暁烏照夫氏に、敏の人生の歩みを辿っていただきながら、遺した教えや願い、言葉について解説していただいた(写真:明達寺・臘扇堂の真正面に建てられている「十億の母」の歌碑)。

この記事は約11分でお読みいただけます

いまだ知られていない暁烏敏の生涯

十億の人
十億の母あらむも
わが母爾まさる
波ゝははありむや

これは、浄土真宗の僧侶・暁烏敏あけがらすはやが、自分の母親が亡くなった時にんだ和歌です。言葉の親しみやすさもあり、多くの人に愛誦あいしょうされてきました。この歌には、早くに父親を亡くした敏が、自分を守り育ててくれた母の恩をしのぶ真心が込められています。それと共に、あらゆる人々を救いたいという仏の慈悲じひの力が働き出ています。

しかし、「十億の母」の和歌は知っていても、作者である敏がどのような人物だったのかを知る人は少ないのではないでしょうか。実際、仏教だけではなく、和歌や俳句、書、出版など多彩な才能を発揮した敏の全貌ぜんぼうは、いまだはっきりとらえられたとはいえません。

私は、敏の師である清沢満之まんしの孫・哲夫(後に養子となり暁烏姓となる)と、敏の孫である暁烏のるを両親として生まれました。いわばその「法縁」と「血縁」から、敏の生家・自坊である真宗大谷派明達寺みょうたつじ(石川県・北安田)住職を勤めてきました。
本欄では敏の生涯を辿たどることで、敏が遺した教えや言葉の一端をお伝えできればと思っています。

明達寺住職、暁烏家当主

暁烏照夫

あけがらす・てるお

昭和24年愛知県生まれ。京都大学独文修士課程修了。真宗大谷派教師、凉風学舎代表。住職として暁烏敏の全集の出版、大法要などを務める。