2020年2月号
特集
心に残る言葉
対談
  • (右)東北福祉大学学長大谷哲夫
  • (左)東洋思想家境野勝悟
道元の残した言葉

愛語廻天かいてんの力あるを
学すべきなり

厳しい禅の修行を経て「身心脱落」の究極の境地を得て日本曹洞宗開祖となった道元。その残した言葉は没後800年近く経ったいまなお、多くの人たちの心を鼓舞し潤し続けている。道元の言葉の持つ魅力や力について東北福祉大学学長の大谷哲夫氏と東洋思想家の境野勝悟氏に語り合っていただいた。

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「最後は道元さんだよ」

境野 きょうは大谷先生と道元禅師どうげんぜんじが残された言葉について対談できるというので、楽しみにまいりました。先生とお会いするのは、先生が総指揮を務められた映画『禅 ZEN』(平成21年公開)の試写会以来ですね。

大谷 ええ。境野先生は何しろ早稲田の大先輩でいらっしゃいますから、私も楽しみにしていました。

境野 先生のご著書は何冊も読ませていただきましたが、道元禅師について実に細かいところまで研究されていることに、とても驚きました。きょうはぜひお教えを賜りたいと思っています。

大谷 境野先生はもともと臨済宗りんざいしゅうのほうで禅の修行をされたとお聞きしていますが、道元禅についても深く研究していらっしゃいます。どういうきっかけで道元禅を学ぶようになられたのですか。

境野 私は40歳まで臨済の、いわゆる公案禅をやっていました。ありがたいことに名僧・山本玄峰げんぽう老師ともご縁をいただいたのですが、老師がいつも「最後は道元さんだよ」とおっしゃっていたんです。それがずっと耳に残っておりましてね。玄峰老師亡き後は、藤沢寂仙じゃくせん老師に就きましたが、寂仙老師もまた「道元さんを勉強しなきゃ駄目だよ」と。それで昭和44年、37歳の時に駒澤大学の博士課程に進んで、専門に学ぶようになりました。駒澤では大谷先生の後輩になります(笑)。

山本玄峰老師(1866-1961)

大谷 ちょうどその頃、私は駒澤の大学院を終えて、学内にある曹洞宗そうとうしゅうの宗学研究所の講師をしていました。境野先生とは、おそらくどこかで会っているはずです。

境野 寂仙老師からは「駒澤に行ったら酒井得元とくげんという先生に就きなさい」と言われていましたので、そこからは得元老師に師事するようになりました。

大谷 得元老師は、日本を代表する曹洞宗の禅僧である澤木興道こうどう老師のお弟子さんで、私もよく存じ上げています。宗学研究所ではご指導をいただきました。

澤木興道老師(1880-1965)

境野 いまも忘れられないのが、修士論文を見ていただくために得元老師のいらっしゃる竹友寮ちくゆうりょうをお訪ねした時、「臨済をやったやつに道元は分からん。帰れ」と大声で怒鳴られたんです(笑)。
私が「先生が指導してくださらないのなら、駒澤大学は退学させていただきます」と外に出ようとしたら「待て!」と大声で呼び止められ、ニコッと笑われてから、結果的に論文の指導許可の判子を押してくださったのですが、その時再びニコッと笑って、「頑張れよ」と励ましてくださいました。それが機縁で得元老師の接心せっしん(坐禅会)に熱心に通うようになり、道元禅師の教えの深さに驚くことになるわけです。

大谷 どういうところに驚かれたのですか。

境野 『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』の現成げんじょう公案の巻に有名な次の言葉がありますでしょう。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。

私は臨済の公案(禅宗で師から与えられる問題)をすべて解いてきましたが、それまで仏道を習うとは仏の道を学ぶことなのだと思っていました。ところが、道元禅師はそうではない、自分自身を習うことだとおっしゃっているんですね。これが分かるようで分からないんです。
一般的に考えれば、習うのはやはり自分の外から習うんです。哲学書を読んだり、宗教書を読んだりすることと考えちゃうんだけど、道元禅師はそういうものを一切忘れることだと説かれている。そして、一番尊いものは、いま生きている素晴らしい自分の生命の中にこそあると説かれている。このことに何よりも驚かされました。
臨済宗も曹洞宗もそれぞれに特徴があって、今日までいろいろと勉強させていただいたわけですが、道元禅師との出会いがなかったら、私の成長はどこかで止まっていたでしょうね。
そういえば、先ほど「最後は道元さんだよ」という玄峰老師の言葉を紹介しましたが、公案禅を嫌っていた澤木興道老師も愛弟子まなでしには「山本玄峰老師は本物だ」とおっしゃっていたそうです。

大谷 お互いに認め合っていらっしゃったんですね。そういう世界があるのは素晴らしいことですね。

東北福祉大学学長

大谷哲夫

おおたに・てつお

昭和14年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院文研東洋哲学専攻修了。駒澤大学大学院博士課程。曹洞宗宗学研究所講師を経て、駒澤大学に奉職。同大学教授、副学長、学長、総長、都留文科大学理事長を歴任。平成28年東北福祉大学学長に就任。長泰寺住職。著書に『祖山本 永平広録 考注集成(上・下)』(一穂社)『永平の風 道元の生涯』(文芸社)『日本人のこころの言葉 道元』(創元社)など多数。

『正法眼蔵』はどのようにして読むのか

境野 大谷先生が道元禅と出合われたのは、どういうきっかけでしたか。

大谷 それは早稲田の東洋哲学の修士課程を昭和40年に修了すると同時に、曹洞宗大本山である福井の永平寺で修行することを決意したことからです。主任教授からは「そんなところに行く必要はない。大学院に残ればよい」ときつく言われましたが、私は『正法眼蔵』をどうしても理解したかった。それで『正法眼蔵』だけを持って永平寺に向かいました。
永平寺では「眼蔵会げんぞうえ」という『正法眼蔵』の講義が行われています。ところが、いざ修行が始まると廊下拭きだとか、布団の上げ下ろしだとか作務さむばかり。作務の真義など分かりません。「眼蔵会」どころではないんです。

境野 ああ、その大変さは私もよく分かります(笑)。

大谷 そのうちに活字に飢えましてね。寺内じない知庫寮ちこりょうに行って「頭が疲れなくて安くて読みやすい本が欲しい」と言ったんです。そうしましたら、出してくれたのが道元禅師が宋で天童如浄てんどうにょじょう禅師に学ばれた時の記録『寳慶記ほうきょうき』(宇井伯寿ういはくじゅ訳注/岩波文庫)でした。40円で買って夢中になって読みましたが、さっぱり分からない。ただ、そこに次の一節があったんです。
参禅は身心脱落しんじんだつらくなり。焼香・礼拝らいはい・念仏・修懺しゅさん看経かんきんを用いず、祗管打座しかんたざのみ
この言葉が頭に叩き込まれました。この真意を求めてこれまでずっと歩んできたように思います。

境野 その言葉をどのように捉えられたのですか。

大谷 身心脱落とは、道元禅師の大悟たいごの証明のような言葉です。この言葉は要するにただ坐れ、それが修行であり身心脱落である。焼香をしたり、礼拝をしたり、念仏をとなえたり、懺悔ざんげをしたり、本を読んだりすることではないとおっしゃっているわけです。
別の言い方をすれば、焼香も礼拝も念仏も修懺も看経もすべて心の揺らぎを呼び起こす。それは只管打坐しかんたざの坐禅ではないといえます。それが分かったのは私が『寳慶記』と出合って約10年後です。
結局、永平寺での修行を終えた後、大学院の博士課程は駒澤に進み、榑林皓堂くればやしこうどう先生の下で学びました。榑林先生は岩沢惟安いあん門下の『正法眼蔵』の大家でした。目がご不自由な優しい先生でしたが、一語一句徹底的にご指導いただきました。ある時、先生に「何か書いてください」とお願いしたら、「赤心片片せきしんへんぺん」と書いてくださり、この書はいまも大事にしています。

境野 赤心片片。すべての事柄に真心を持って接するという、素晴らしい言葉ですね。

大谷 その榑林先生から「もっと若い先生がいるから」と言って紹介されたのが、横井覚道という先生です。これも忘れられない話なのですが、私が何気なく「先生、『正法眼蔵』は難しくて分かりませんね」と話し掛けたら「えっ?何が分からないの?」とおっしゃるんです。これには仰天しました。あの難解な『正法眼蔵』が分かる人がいるんだと。
私は『正法眼蔵』について根掘り葉掘り先生に質問しました。そうしたら最後に「あんたのはただ読んでいるだけだ。読んでいるだけじゃ『正法眼蔵』は分かるはずがない」。「では、どうするんですか」と聞くと「それはね、衣を着てお袈裟けさをかけて、見台けんだいを持ってきて、そこに『正法眼蔵』を載せて三拝をして、正座してそれから声を出して拝読するんだ」と教えてくださいました。3か月間、毎日続けましたよ。だけど全然分からない。しゃくさわって言いました。「先生、分かりません」と。

境野 でも正直ですね。普通は分かったような顔をしちゃうものなんだけど(笑)。

大谷 分からんのは分からんですよ。分かったような顔をするのが一番よくない。それで、その時先生は「あんたは漢文が読めるんだから、道元禅師の語録『永平広録えいへいこうろく』を参究しなさい」と薦めてくださいました。私はこの『永平広録』によって道元禅の世界が大きく開けていったんです。

東洋思想家

境野勝悟

さかいの・かつのり

昭和7年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、私立栄光学園で18年間教鞭を執る。48年退職。こころの塾「道塾」開設。駒澤大学大学院禅学特殊研究博士課程修了。著書に『日本のこころの教育』『方丈記 徒然草に学ぶ人間学』(致知出版社)『心がスーッと晴れる一日禅語』(三笠書房)など多数。