2026年6月号
特集
人間を磨く
対談
  • 芸術家濱野年宏
  • 歴史研究家福田正秀

芸術の一道を
無心に歩む

宮本武蔵に学ぶ人生に勝つ要諦

香川県高松市を拠点に東洋美と西洋美を融合した独創的な芸術作品を制作・発信し、国内外で高い評価を受けている濱野年宏氏。宮本武蔵の研究家として、その知られざる実像を明らかにしてきた福田正秀氏。偉人・武蔵を媒介に親交を深めてきたお二人に、それぞれの歩み、宮本武蔵の教えを交えて、一道を究め、よりよい人生を掴む要諦を語り合っていただく。
【写真=濵野氏のアトリエにある『風神雷神図屏風』の前で】

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    芸術家

    濱野年宏

    はまの・としひろ

    昭和12年香川県高松市生まれ。多摩美術大学卒。高松を拠点に新たな東洋・西洋美の融合と調和を推進し、世界を舞台に独創的な作品を探求・発表。56年21国際交流芸術学院創設。代表作に『風神雷神屏風』(1985年)、大聖年祭記念作品『ユニティ』(2000年)、『聖徳太子絵伝四季図大屏風』(2005年)など。令和5年パリ・ユネスコ本部所蔵の『茶室・桂離宮』の作品群が世界芸術作品遺産に認定、専用展示室が完成。ポーランド共和国文化功労賞・文化勲章、香川県文化功労者表彰、文化庁長官表彰、フランス文化勲章オフィシエ、外務大臣表彰、旭日雙光章など受賞(章)多数。

    歴史研究家

    福田正秀

    ふくだ・まさひで

    昭和23年長崎県生まれ。放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。宮本武蔵・加藤清正など歴史人物を研究。日本歴史学会会員。(公財)島田美術館評議員。(一財)熊本城顕彰会理事。熊本県文化懇話会世話人(郷土史)熊本県文化協会理事。著書に『加藤清正「妻子」の研究(水野勝之と共著)』『加藤清正と忠廣-肥後加藤家改易の研究』(共にブイツーソリューション)『宮本武蔵研究論文集』(歴研)『宮本武蔵研究第2集-武州傳来記』『宮本武蔵 熊本で生きる』(共にブイツーソリューション)『武蔵に尋ねよ-剣豪宮本武蔵が極めた兵法、芸術、人生哲学』(クレヴィス/写真=藤森武)など。

    対談は、香川県高松市にある濱野氏の自宅兼アトリエにて行われた。

    15年の歳月をかけた大作『聖徳太子絵伝四季図大屏風』

    福田 きょうは尊敬する濱野先生と対談できること、とても楽しみにしていました。89歳のいまもなお、国内外で精力的に芸術活動をなさっている原動力はどこから来ているのか。もっと知りたいと思い、高松のご自宅兼アトリエまで押しかけてきました(笑)。

    濱野 こちらこそ、きょうは熊本からお越しくださり、ありがとうございます。私もお会いできることを楽しみにしておりました。
    私たちの出逢いは、いまから15年ほど前でしたね。国際展の審査員としてポーランドのクラクフに行く飛行機の中で、何かの雑誌だったと思いますが、福田さんが書かれた宮本武蔵についての論文を知ったのです。今日においても、武蔵の論文を発表する方がいるのかと驚いて拝読すると、その事績が実に正確に記述されていて、これは普通の研究者じゃないと。
    それですっかり福田先生のファンの一人となり、以来今日までかんたんあいらす仲というわけです。

    福田 まさに武蔵が導いたご縁でした。その後、濱野先生から丁寧なお手紙をいただき、数年文通を続け、初めてお目にかかったのは2019年でしたね。令和改元を記念した奈良の「正倉院展」に合わせ、聖徳太子建立の中宮寺で濱野先生の「聖徳太子絵伝四季図大びょう」が一般公開された時です。
    これは聖徳太子の生涯を四季に分けて描かれた大屏風絵で、6きょく4せき、高さが2メートル、長さが実に36メートルにも及ぶこんしんの大作です。私はその素晴らしさにきょうがくし、大感動したことをいまも覚えております。将来、日本の国宝になる作品だと思いました。

    濱野 『聖徳太子絵伝四季図大屏風』は、中宮寺の御もんぜきより制作のご依頼がありました。鎌倉時代の絵師・上野こうずけのほっきょうたじぼうによって描かれた『聖徳太子絵伝』を手本に、鎌倉時代の様式にのっとって描いてほしいということでしたが、これが大変でした。聖徳太子に詳しい研究者の方々を訪ね歩き、鎌倉時代の人はどんな格好をしていたのか、この場面はどう描いたらよいのか、一つひとつ質問し、それを解釈しながら作品にしていったのです。
    とにかく日本美術の最高を目指し、背景には四季折々の草花をあしらい、大和絵風の線を重視した正確なデッサンによって分かりやすく、確実に描くことを徹底していくと共に、着色を施していきました。結局、着想から完成まで15年の歳月がかかりました。

    福田 15年もの歳月をかけて制作を。本当に驚くばかりです。

    濱野 描き始めたのが50過ぎで、2005年に完成した時は68歳になっていましたから、浦島太郎になった気分でした(笑)。
    当時、私はヨーロッパに活動の場を広げていたのですが、「東洋」と「西洋」には、埋めようもない文化の違い、大きな溝があると感じていました。しかし、『聖徳太子絵伝四季図大屏風』の制作を通じて、その溝を埋める鍵が聖徳太子の「和を以て貴しとなす」にあることを感じ取ったのです。
    西洋の個人主義的思考だけでは、社会と人間生活は成り立っていきません。東洋の和の心が、これからの国際社会でますます大切になってくるだろうと思いますね。

    福田 実際、濱野先生の大作はフランスのパリやナント市、さらに2024年に東京、2025年には大阪万博で展示され、大好評を博しました。これは分断と混迷の度を深める現代世界において、先生の芸術が持つ力はもとより、聖徳太子の「和の心」の大切さが人々に伝わったからでしょう。

    西洋と東洋の融合日本文化を世界へ

    福田 先生は来年90歳を迎えられますが、最近力を入れて取り組んでいる作品はございますか。

    濱野 私は美大生の頃はしょうを描いていましたが、美大を卒業する頃から精神的な抽象ちゅうしょうといいますか、少しの形と抽象表現が相互に融合する中に、光のようなものが感じられる作風に変わっていきました。その後もずっと探求を続け、特に近年は抽象・具象の両方から生まれる「日本美とは何か」という作風を創作しています。
    若い頃は西洋美術の影響を受けていましたが、それと日本美術を対比しながら創作活動を続けていく中で、最終的に日本美に落ち着いていったという感じです。

    福田 様々な芸術に触れ、最後は日本の美に回帰していかれた。

    濱野 それで90歳を迎える2027年は、アメリカのワシントン D. C.にて、「絶対空ぜったいくう」の世界を表現した新作を中心に、大回顧展を開催する予定です。「絶対」というのは、西洋のキリスト教の神ですね。「空」というのは、東洋でいう無です。この一見相反する「絶対」と「空」の概念、いわば西洋と東洋の精神を併せ持った作品が「絶対空」だと言えるでしょう。
    日本文化は、世界的にならなくてはいけないと私は考えているのです。そのためには、西洋と東洋が別々にあるのではなくて、両方を含む一つの世界が、世界として開かれなくてはいけません。これをやり遂げるには、従来よりも一層深い洞察と発見が必要です。
    誰も開いたことのない道なき道を歩んでいるような心持ちですが、もう大方の作品はできましたから、90歳を前に何としてもやり遂げたいと思っているところです。

    福田 濱野先生のバイタリティーには圧倒されるばかりですが、「絶対空」と聞くと、宮本武蔵が到達した境地である「ばんいっくう」の言葉を思い浮かべます。とにかく新作の完成が待ち遠しいですね。