2026年6月号
特集
人間を磨く
対談
  • 井村アーティスティックスイミングクラブ代表理事井村雅代
  • 今治.夢スポーツ会長岡田武史

己を磨いた分だけ
人を育てることが
できる

東洋古典『大学』は人の上に立つ者の心得として「己を修め、人を治める」を説く。人は己を修めた分だけ、人を感化し育てることができる、ということだろう。
ここにスポーツの世界において、それぞれ長年にわたり数々の選手やチームを育成してきた名指導者がいる。井村雅代さんと岡田武史さん。共通点が多く、互いに尊敬するお二人が軽妙かつ本音で語り合った「リーダーのあり方」「チームづくりの要諦」。

    この記事は約29分でお読みいただけます

    井村アーティスティックスイミングクラブ代表理事

    井村雅代

    いむら・まさよ

    昭和25年大阪府生まれ。中学時代よりアーティスティックスイミングを始める。選手時代は日本選手権で2度優勝し、ミュンヘン五輪の公開演技に出場。天理大学卒業後、大阪市内で教諭を務める傍ら、アーティスティックスイミングの指導にも従事。53年日本代表コーチに就任。平成18年より中国、イギリスの指導を経て、26年日本代表ヘッドコーチに復帰。28年リオ五輪ではデュエット、団体共に銅メダルを獲得。令和3年の東京五輪では4位入賞。五輪でのメダル獲得数は通算16個。著書に『井村雅代コーチの結果を出す力』(PHP研究所)など。

    今治.夢スポーツ会長

    岡田武史

    おかだ・たけし

    昭和31年大阪府生まれ。55年早稲田大学政治経済学部を卒業後、古河電気工業サッカー部に入団し、日本代表に選出。引退後は日本代表監督として平成9年W杯フランス大会で日本初の本選出場、22年W杯南アフリカ大会でベスト16。他にコンサドーレ札幌、横浜F・マリノス、中国スーパーリーグの杭州緑城で監督を歴任。26年FC今治のオーナーとなり、今治.夢スポーツ会長に就任。令和6年よりFC今治高校里山校の学園長を兼務。著書に『岡田メソッド』(英治出版)など。

    勝負事に関して小善を断ち切れるか

    井村 早朝から大阪まで来ていただき、ありがとうございます。

    岡田 この後、ある大学の入学式で岡山に行くんですよ。

    井村 岡田さんも走り回っておられるんですね。

    岡田 貧乏人、暇なしですわ(笑)。

    井村 私も先週は自分のクラブの合宿が草津であって、金メダリストのいぬい(友紀子)をコーチとして育てていまして、5月の日本選手権が終わった翌々日にドイツへ行くんですよ。いまドイツの選手も教えているので。

    岡田 いい選手がいるんですか?

    井村 いなくたって、いい選手に育てんねん(笑)。ドイツはパリ五輪の出場権を獲得できなかったんですけど、一人の若い選手が何としても五輪に出たいと言うので、コーチに就きました。その選手は私が教えたことをすべて吸収し、昨年(2025年)、世界でソロのグランドチャンピオンになったんです。今年はもう一人の選手に力を入れて指導していて、デュエットで来年の世界選手権を目指しています。
    私は24歳からずっとアーティスティックスイミングのコーチをしてきて、もう53年目です。どうしましょう(笑)。

    岡田 いや、本当にすごいことですよ。僕にとって井村さんは最も尊敬する指導者の先輩です。常に結果を残されているじゃないですか。鬼コーチという評判は聞いていましたが、厳しいだけでは絶対に人はついてこない。だからきっと深い懐を持っておられるんだろうなと思って、もう20年以上前ですかね、初めてお会いした時に「ああ、やっぱりそうだ」と感じたことを覚えています。

    人間って誰でも「いい人」だと言われたいし、好かれたいじゃないですか。僕はもちろんのこと、井村さんもきっとそうだと思うんですけど、勝負事に関してそこを断ち切れるか。僕は最初それができなかった。でも、井村さんはずっとやってこられている。こういう指導者はあまりいません。

    井村 私も岡田さんのことを尊敬していますよ。弱いところからチームを指導してきて、世界の舞台で戦えるレベルに高めてきたのはすごく格好いいなと。

    岡田 さっきドイツの話が出ましたけど、僕は古河ふるかわ電工でコーチをしていた35歳の時に、ドイツ留学したことが一つの転機でした。それまでは「皆で仲良くワイワイやろうぜ」という感じで、選手時代にやってほしいと思っていた練習を全部取り入れました。いま考えたら、そんなもので勝てるわけがない。実際、チームは全然伸びなくて2年で行き詰まり、わらをもつかむ思いで1年間ドイツに行かせてもらったんですよ。
    家族も連れて、何の当てもなく飛び込みで行ったから、めちゃくちゃ苦労しました。家族に夜露よつゆしのがす、飯を食わすために家探しから始めて、ドイツ語が分からないので英語を話せる監督を探し回って、ようやくハンブルクのチームに入れてもらいました。ドイツがどんな練習をしているかというノウハウに目新しいものは何もなくて、そこで分かったのは、監督と選手は立場が違う。選手の嫌がることもやらせなきゃいけない。そういう強さを学びました。

    井村 指導者としてのスタンス、あり方に気づかれたのですね。

    岡田 帰ってきたら面白いように選手が成長してチームが勝つようになったんですよ。「小善しょうぜんは大悪に似たり。大善は非情に似たり」という言葉がありますけど、そこから少しずつ小善を断ち切れるようになったと思います。

    本気で向き合えばどんな子にも通じる

    井村 先ほど編集者の方に伺って驚きましたが、岡田さんとは実に共通点が多くて、まず大阪出身。誕生月が8月。競技を始めたのは中学生の時から。大阪市立住吉中学校の教師と生徒。日本のナショナルチームを指揮したこと。中国での指導歴。いま話に出たドイツにも縁がある。そして『致知』を長年にわたって愛読し、人間力をベースに人を育ててきた点。

    岡田 本当だ(笑)。昔、井村さんと食事をした時に「なんで私がこんな強い人間になったか知ってます?」と何気なくおっしゃった。「大学を卒業して最初に赴任した中学校がすごいところで、そこで鍛えられたんです」と。校名を聞いて「それ、僕の母校です」って答えたら、絶句されましたよね。

    井村 そうそうそう(笑)。ちょうど私が赴任したのは岡田さんが卒業した1年後だったので、接点はなかったんですけど、これはすごい奇縁だと思います。

    岡田 当時の住吉中学校は荒れまくっていて、校舎の窓ガラスが割られたり、教室の黒板を的にしてナイフを投げ飛ばしたり、なんていうのは日常茶飯事。入学早々、信じられないようなことが次々に起きました。授業中にもかかわらず、「男子生徒は体育館に全員集合」と番長から校内放送があり、みんな授業を抜けて行かざるを得ない。先生はおろおろと成り行きを見守るだけ。とんでもない学校に入っちゃったなと(笑)。
    だから、あそこの教師は本当に大変だったと思います。

    井村 私も最初の頃は「殺すぞ」と脅されましたし、隠れて煙草たばこやシンナーを吸う生徒、自傷行為を繰り返す生徒もいました。一部の先生はそれを見て見ぬふりをして、黙々と授業を続けていたんです。それはあかんやろうと。私はそういうやんちゃな生徒を相手に体を張って本気で向き合っていました。まさに命懸けでしたね。
    そのおかげで、怖いものがなくなりました。真剣勝負でぶつかっていけば、どんな子にも通じる。暴れ回っているやんちゃな子に対しても、100%信じられるようになりました。中学教師時代の8年間はまさに私の原点です。
    よく「オリンピックのコーチをされて大変ですね」って言われるんですけど、全然大変じゃないんです。むしろ楽なものだと。なぜなら、「勝ちたい、メダルを獲りたい」と目標を持っている子ばかりですから、そのために越えなければいけないハードな練習を与えてあげればいい。

    岡田 やんちゃな子らは別に勉強したいとも学校に来たいとも思っていないわけですからね。

    井村 生きる目的のない子たちに人生の素晴らしさを伝えていかなければならない。こっちのほうがよっぽど大変でした。