2018年4月号
特集
本気 本腰 本物
インタビュー①
  • 画家、日本美術院理事長田渕俊夫

本気で
打ち込むところに
道はひらかれる

日本画界の重鎮・田渕俊夫氏は2017年、阿弥陀三尊浄土図と仏教伝来の壁画計15点を5年がかりで完成させ、奈良・薬師寺に奉納した。作品を横に並べると実に50メートルに及ぶ大作である。今年(2018年)喜寿を迎える田渕氏の旺盛な創作意欲は、どこから生まれるのだろうか。師・平山郁夫氏からの薫陶を交えながら、絵に懸ける思いをお話しいただいた。

    この記事は約13分でお読みいただけます

    画家、日本美術院理事長

    田渕俊夫

    たぶち・としお

    昭和16年東京生まれ。40年東京藝術大学美術学部卒業、42年同日本画修士課程修了。愛知県立芸術大学助教授を経て、60年東京藝術大学助教授に。平成7年教授、17年副学長、21年から名誉教授。28年から日本美術院理事長。第67回日本美術院展覧会日本美術院大観賞、院展文部大臣賞、院展総理大臣賞など受賞歴多数。

    6メートル四方の阿弥陀三尊浄土図

    ——奈良・薬師寺を訪れた時、復興された食堂じきどうに掲げられた田渕先生の絵を拝見しました。6メートル四方もある中央の阿弥陀三尊浄土図あみださんぞんじょうどず、その左右を飾る14点の仏教伝来の壁画に圧倒されました。

    ご覧いただいたのですね。ありがとうございます。これら15点すべての作品を横に並べると50メートルもの大壁画になるんです。2017年春まで丸5年間を費やしましたが、毎年春秋の院展に出品する作品を除けば、ほとんどがこの仕事に掛かりっきりだったと言ってよいでしょうね。
    とにかく大きいものですから、阿弥陀三尊浄土図は8分割に、他の14面は2分割にして描き、最後に組み合わせるやり方を取りました。細やかな技術もさることながら、70代半ばの私には体力勝負という一面もありました。

    ——田渕先生は、「仏教伝来」で知られる故・平山郁夫先生の愛弟子まなでしでいらっしゃいますが、その影響もあって、これらの大作に臨まれたのですか。

    いや、今回の絵に関しては先生とは直接関係ありません。京都の智積院ちしゃくいんに私が奉納していた襖絵ふすまえを薬師寺の山田法胤ほういん管主(当時)がご覧になって気に入ってくださったりと、いくつかのよきご縁が重なって、この仕事をいただくことができたんです。
    平山先生は玄奘三蔵げんじょうさんぞうの足跡を辿たどった「大唐西域壁画だいとうさいいきへきが」を薬師寺に奉納されていますが、私は先生が最後に描かれた西安せいあん大雁塔だいがんとう以降の部分、つまり遣唐使船が海を渡って日本に着き、瀬戸内海を通って浪花なにわで川船に乗り換えて、大和川を上って大和の国に入るまでを、イメージを膨らませながら描かせていただきました。
    私は50年間、絵を描き続けてきていて、仏画を描くのは今回が初めてでしたので、一つ新しい世界がひらけたかなと思っています。

    ——ああ、仏画を描くのは初めてでいらっしゃった。

    宗教画そのものが初めてでしたね。以前、福井の永平寺から襖絵を依頼された時、「宗教的な知識も何もない絵描きが、どうして大本山の襖絵を描くのか」という投書が届いたことがあります。その時思ったのは、確かに自分は宗教的な教養はないかもしれないが、20歳以前から絵の修業を続けてきた。その修業の成果を表現すればいいのではないか、ということでした。雪の永平寺をモチーフにした「雪図」と題した襖絵は、幸いにして大きな反響を得ることができました。
    今回、阿弥陀三尊浄土図を描くに当たっても、仏画を専門に描く方はいらっしゃるわけだから、いい加減な絵は描けません。法隆寺の6号壁の浄土図をはじめ多くの仏像を模写しながら、随分と研究を重ねました。それに、私は平山先生のお供などで中国には相当の回数行っていますから、そこで見聞したりスケッチしたりしたことも大変役に立ったんです。
      
    ——遣唐使船や大和の国、藤原京の様子も、細やかなタッチで描かれていましたね。

    平山先生の代表作の一つに「高耀たかひかる藤原京の大殿おおどの」という名作がありましてね。先生がこの作品を描かれた当時、藤原京は大和三山の内側にあったというのが学者の定説でした。先生もそのようにお描きになった。ところが、発掘調査をしたら、藤原京は大和三山を超えた広い範囲にまでまたがっていたことが分かったんです。
    先生はそのことを気にされていましたが、平城京の発掘調査が進んでいくと、藤原京とついになる平城京を描こうと思って下図に取り掛かられた。しかし、その頃には病気が重くなり、残念ながら先生の平城京は下図だけのまま2009年にお亡くなりになってしまいました。ですから、私は弟子として先生が描きたかったと思われる藤原京と平城京の対の姿を私なりのイメージで、14面の仏教伝来の最後に配したのです。

    自分を追い込まなければよい絵は生まれない

    ——2017年、大作を描き終えられ、いまはどのような毎日ですか。

    やはり、頼まれた仕事がたくさんまっていますから、その約束を果たすのが一番ですね。
    いま日本美術院の理事長をお引き受けしていますが、院展の100年以上の歴史をいかに次の世代に引き継ぐかも大きな役目だと思っています。それには、まず私個人の仕事で自分や人を納得させる作品を残せなきゃいけない。いい加減な気持ちでこれはできません。ここがつらいんですよ。
    院展という小さな枠を超えて世界の何百年、何千年という視点で見た場合、優れた作家がたくさんいるわけです。そのことを考えると「俺は大観たいかんには負けるけれども、誰某だれそれには勝つ」などと言っている場合ではないんですよ。たった一度の人生、自分の作品は本当にこんな絵でいいのか、というのがいまの正直な気持ちですね。

    ——自分と厳しく向き合っていらっしゃる。

    そうやって自分自身を追い込んでいかなくてはいい絵はできません。ただ、追い込んでいるつもりで日々絵を描き続けていても、時々自分は思い上がっているなと感じることがあるんです。
    私は20代から絵を描いていますから、何かの弾みに40~50年前の絵が出てくることがあるんです。その絵を見ると「えっ、こんなにいい絵を描いていたんだ」と驚くことがあります。その頃は、もう無我夢中というのか、無心でただひたすらに描いている。そんな絵は新鮮で、いま見ても一つも古くないんです。
    本当なら、いまのほうが技術的には上達しているはずなのに、「これは何なのだろう」と自分でも思いますね。「俺は絵がうまくなった」「有名になったから、下手な作品は後輩に見せられない」という思いが少しでもあると、納得できる絵は生まれません。無我夢中で絵筆を走らせていたかつての感覚を取り戻さないと、命がいくらあっても足りないぞ、といつも反省させられています。

    写真提供/クリエイティブBe 李憲彦氏