2024年10月号
特集
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く
インタビュー③
  • 中国料理シェフ脇屋友詞

一つの道を選び
その道を歩き続ける

中国料理界の巨匠と称される脇屋友詞氏が料理の道に入ったのは15歳の時。厳しい修業に打ちのめされそうになりながら、あるスキー場でたまたま出合った一枚の色紙に書かれていた言葉が「この道より我を生かす道なし この道を歩く」だった。以来、この言葉は脇屋氏が人生を切りひらく原動力になっていった。鍋洗いに始まり、中国料理人としての地位を不動のものにした氏の人生に迫る。

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中国料理の道を半世紀歩き続けて

──脇屋シェフは昨年(2023年)、料理人人生50周年の節目を迎えられたそうですね。

はい。僕は15歳で中国料理の道に入り、気がついたら料理にのめり込んでしまっていました。いろいろと大変な時期もありましたが、何とか辞めずに続けていたら、いつしか50年という歳月が流れていた、というのが実感ですね。最初から料理人を目指していたわけではありませんが、周りの友達と同じように高校に進んで普通に就職していたら、ここまで充実した人生は送れていなかったと思います。

──経営される店は、どこも国内外からのお客様が引きも切らない人気店だと聞いています。

ありがたいことに国内はもとより、ヨーロッパやアジアのお客様も多くいらっしゃいます。いまは東京の赤坂に3店舗、銀座に2店舗を経営していますが、それぞれに店のコンセプトが異なっているんですね。
例えば赤坂の「Wakiyaいちちゃろう」は2001年、昔ながらの料亭を買い取って改築した店で、家庭的な中国料理をお出しすることを原点に経験を積み重ねてきました。同じ赤坂の「トゥーランドットりゅうきょ」は、東洋と西洋の融合を試みたとても華やかな雰囲気が特徴です。ランチの時間はいつもお洒落しゃれをした若い女性や奥様方で賑わっています。
「Ginza脇屋」は昨年末に銀座にオープンしたばかりなのですが、ここでのコンセプトは目の前に僕が立ってお料理を提供するというスタイル。3階は、昔から僕が興味をもっている伝統的な日本蕎麦そばに、中国料理のエッセンスを加えたかっぽう料理の店にしました。
僕は日本人がつくる中国料理が外国人にどのように受け止められるだろうかといつも意識していて、とりわけ日本の四季折々の素材を使った繊細さとつややかさが表現された料理で、いかにお客様をうならせるか。そこに最も力を注いでいるんです。

中国料理シェフ

脇屋友詞

わきや・ゆうじ

昭和33年北海道生まれ。中学卒業後「山王飯店」や「楼蘭」、東京ヒルトンホテル/ザ・キャピトルホテル東急「星ケ岡」等で修業を積み、27歳でリーセントパークホテル「楼蘭」料理長、平成4年に同ホテル総料理長。8年「トゥーランドット游仙境」代表取締役総料理長に就任。13年「Wakiya一笑美茶樓」を、令和5年「Ginza脇屋」をオープン。平成22年「現代の名工」受賞。25年黄綬褒章を受章。著書に『厨房の哲学者』(幻冬舎)。