中国料理界の巨匠と称される脇屋友詞氏が料理の道に入ったのは15歳の時。厳しい修業に打ちのめされそうになりながら、あるスキー場でたまたま出合った一枚の色紙に書かれていた言葉が「この道より我を生かす道なし この道を歩く」だった。以来、この言葉は脇屋氏が人生を切りひらく原動力になっていった。鍋洗いに始まり、中国料理人としての地位を不動のものにした氏の人生に迫る。
中国料理シェフ
脇屋友詞
わきや・ゆうじ
昭和33年北海道生まれ。中学卒業後「山王飯店」や「楼蘭」、東京ヒルトンホテル/ザ・キャピトルホテル東急「星ケ岡」等で修業を積み、27歳でリーセントパークホテル「楼蘭」料理長、平成4年に同ホテル総料理長。8年「トゥーランドット游仙境」代表取締役総料理長に就任。13年「Wakiya一笑美茶樓」を、令和5年「Ginza脇屋」をオープン。平成22年「現代の名工」受賞。25年黄綬褒章を受章。著書に『厨房の哲学者』(幻冬舎)。