世界に誇る漁場・三陸を筆頭に、深い爪痕を残した東日本大震災。15年が過ぎたいまも、傷は癒えたとは言い難い。水産加工を生業とし、グループ会社を含め27あった拠点の9割を津波で流失した川村賢壽氏は、それでも地元・気仙沼に残り、半年で複数の工場を復旧。15年間で業績を震災前の水準に戻し、近隣の同業者を束ね世界に挑んでいる。氏が絶望の淵でめざしたものは何だったのか。
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かわむら会長
川村賢壽
かわむら・けんじゅ
昭和24年宮城県生まれ。仙台育英学園高等学校卒業後、東京の昆布問屋で修業。45年海産物加工業を開始。49年㈱川村商店設立(平成3年㈱かわむらへ社名変更)。昭和63年㈱加和喜フーズ代表取締役。平成19年冷水代表取締役。23年東日本大震災で経営する3社の施設設備の9割が流失。同年6月本社一部操業再開。24年気仙沼鹿折加工協同組合設立、理事長就任。
津波で壊滅した25施設のうちの1つ、岩手第一工場の惨状