2023年4月号
特集
人生の四季をどう生きるか
一人称
  • 特別養護老人ホーム芦花ホーム医師石飛幸三

人生の旅立ちに立ち会って

東京都世田谷区の特別養護老人ホーム芦花ホームの医師・石飛幸三氏は18年間、多くの入居者の死を看取ってきた。大病院時代の石飛氏にとって手術の失敗は文字通り敗北だった。しかし、同ホームに勤務し医学の限界と終末医療のあり方を突きつけられることになる。氏が行き着いた医療とはどのようなものなのだろうか。

この記事は約11分でお読みいただけます

人間の死を痛感した少年期の体験

この世に生をけた以上、何人なにびとも絶対に避けられない宿命があります。それが死です。私たちは苦しいことや悲しいことなど様々な人生の四季を味わいながら、その終焉しゅうえんへと向かいます。避けられない死だとしても、せめて死に臨んでは苦しまないように、取り乱さないようにというのは万人の願いと言えるでしょう。

40年以上にわたり大病院で外科医として働いていた私が、東京都世田谷区にある特別養護老人ホーム・芦花ろかホームの常勤配置医師になったのはいまから18年前の2005年。以来、88歳になる現在に至るまで多くの入所者の死を看取ってきました。

介護施設での勤務医と言えば、その多くは医療機関から定期的にやってくる非常勤の配置医師が大半で、私のような常勤医師は極めてまれです。しかし、時々施設に顔を出し看護師の説明を受けながら入所者と接するだけでは、入所者の人生と真に向き合うことはできないというのが私の信条です。

入所者一人ひとりがどのような過程を経てこの施設をつい棲家すみかとして選んだのか、家族の間でどのような葛藤があったのか、また、どのような最期を望んでいるのか。これらは入所者や家族に寄り添ってこそ分かることなのです。

しかも、終末の高齢者の容体はいつ急変するか分かりません。家にいても携帯電話が鳴ればぐに駆けつけ必要な手を講じる。それは医師としての当然の勤めです。大病院での外科医時代、土曜日の午後に始めた手術を月曜日の明け方までかけて行い、患者さんの体調が思わしくなければ再び駆けつける。そんな生活を40年間続けてきた私には、それがすっかり習い性となっています。少なくとも医師という仕事はタイムカードに束縛されながらやれる仕事でないことは確かです。

私が人間の死というものを意識するようになったのは、広島で育った少年の頃でした。

10歳の夏、国民小学校4年生だった私は、皆と一緒に早朝から畑で農作業にいそしんでいました。すると、一瞬目の前が光で真っ白になり、大きな爆音と共にキノコ雲が立ち上ったのです。山を越え約40キロ離れた広島市に原爆が投下された瞬間でした。夕方になると、全身焼けただれた人たちがリアカーで次々と運ばれてきました。1週間ほどして知り合いの安否を確認するために父親と一緒に広島市内に入ったのですが、そこで見た地獄のような惨状は、人間の運命や死というテーマを強烈に私の心に焼きつけました。

戦後になると、それまで死の病とされていた結核の特効薬が開発され、全国の結核療養所が次々に閉鎖されました。新しい時代の到来を予感した私は、手術によって人々の病気を治す外科医をいつしか夢見るようになったのです。

特別養護老人ホーム芦花ホーム医師

石飛幸三

いしとび・こうぞう

昭和10年広島県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。ドイツで血管外科を学び帰国後は東京都済生会中央病院に勤務。同病院副院長を経て平成17年特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医師となる。著書に『平穏死のすすめ』(講談社文庫)『家族と迎える「平穏死」』(廣済堂出版)など。