2023年4月号
特集
人生の四季をどう生きるか
インタビュー
  • 華道家元45世池坊専永

華道一筋、
師の心を求め続けた
我が90年の人生

〝いけばなの根源〟である華道家元・池坊。その560年にわたる伝統の「技」と「心」を、今日に伝え続けているのが45世を継いだ池坊専永氏である。氏の90年の歩みには花の一生と同じく、種から萌芽し、蕾の時代を経て大きな花を開かせ、そして後世へ向けて種を残す時期が存在している。その足跡を辿りながら、人生における四季とは何かを考えてみたい。

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いけばなを通じて目に見えない心を見る

——お家元は今年(2023年)、卒寿を迎えられますが、華道一筋に歩まれてきた来し方を振り返って、今感じておられることはありますか。

〝光陰矢の如し〟という言葉がありますが、1日1日、1年1年があっという間ですね。この頃はこの1日を大切に、日々新たな気持ちで生きることが重要だと余計に思います。90歳にもなると体が思うように動かなくなり、地方に花の指導に行ってあげたくとも、なかなか叶いません。人間は何事も体にエネルギーがあるからこそなんですね。それはこの歳になって初めて気づいたことであって、自分で経験しないと、歳を重ねないと分からないことはたくさんあります。
人間の命に比べ、花の命ははかなく短いですよ。今日の花と明日の花とはまったく違う。刻一刻と変化する花の表情を捉えて、最大限に美しく見せることが、池坊のいけばなの根底に流れる精神です。

——いけばなの奥深さや仕事のみょうを、歳を重ねるごとに一層感じておられることと思います。

いけばなと共に長い年月を歩んできて、今改めていけばなの魅力とは何かと考えると「残るものがない」ということだと思うのです。

——残るものがない。

絵画や彫刻などは作品として後世まで残り続けます。一方、いけばなは生きた草花を使いますから、作品の命は一瞬です。では何を残さなければならないかと考えた時に、それはやはり〝師の心〟だと思うのです。花を通じて師匠の心を弟子に伝え、弟子の心をまたその弟子に伝える。作品ではなく〝いけばなの精神〟が560年という長きにわたって連綿と受け継がれているのです。
どんなによい花を生けたとしても、素晴らしい作品に仕上げたとしても、いけばなは売ることも買うこともできません。飾ってある花を通じて、その奥にある目に見えない心を表すのが華道です。心というのは目に見えない。その見えないものをつかめるようにじーっと鍛錬することが、いけばなにおける修業です。

——生けられた花を通じて、目に見えないつくり手の心を見ると。

目に見えるのは色と形のみ。その奥に秘められたものを見るというのは、人間も同じでしょう。表情や動作は目に見えても、なかなか人の心は見えてこない。
この心を見るのは大変難しいことだと思いますね。昨今、目に見える豊かさばかりを追い求める風潮が強くなり、この目に見えないものの尊さ、価値というものが見失われてしまっている印象がぬぐえません。どんなに時代が変わろうとも、この「心」は決して失ってはならないものなのです。

華道家元45世

池坊 専永

いけのぼう・せんえい

昭和8年京都市生まれ。20年先代である父の死去に伴い、11歳で華道家元を継承すると同時に得度。20年比叡山中学に入学。僧侶の修行のため比叡山・坂本にある慈照院(当時)にて生活する。厳しい修行を重ね、20歳の時に六角堂(紫雲山頂法寺)住職に就任。31年同志社大学卒業。52年にいけばなの新しい型である「生花新風体」を、平成11年に「立花新風体」を発表。18年文化普及の功労により、旭日中綬章を受章。著書に『池のほとり』(日本華道社)など。