2023年4月号
特集
人生の四季をどう生きるか
一人称
  • 日産グローバル社長鮎川雅子
無私奉公の人

鮎川義介の生き方に学ぶ

日産コンツェルンの創業者・鮎川義介。戦前に日産自動車、日立製作所、日本鉱業、日本油脂、日本水産など141社を立ち上げ、戦後は中小企業の支援や育英会の創設などに心血を注いだ。そこに一貫するテーマは人間学に根差した人創りと教育であり、私利私欲なく世のため人のために尽くし切った〝無私奉公〟の生き方である。鮎川義介の義娘でその精神を受け継ぐ鮎川雅子さんに、稀有なる人物の足跡を辿りながら、いま私たちが学ぶべき鮎川哲学を繙いていただいた。

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「己を空しうすること」が大事業を成し遂げる要諦

鮎川家に私が嫁いだ時、義父・鮎川よしすけは既にこの世にいませんでした。義介の次男・金次郎と結婚したのは昭和48(1973)年、義介の7回忌から8か月後のこと。7回忌では帝国ホテルのじゃくの間に約1,000名の政財界の方々をお呼びするということで、たまたま学生アルバイトの一員として、鮎川義介のことなどまったく知らずに手伝ったのが縁の始まりです。

結婚のわずか2年半後に主人は気管支ぜんそくの発作で帰らぬ人となってしまいましたが、その後、義母・美代とは晩年の10年間を一緒に暮らすことができました。そこで義介の人となりや様々なエピソードを聴き、義介の精神を学び、受け継ぐことができたのは人生の宝物であり、まさにぎょうこうでした。

無私奉公──。義介の生き方をひと言で表現するならば、この4字に尽きると思います。日産コンツェルン創業者と言われる通り、義介は昭和初期、日本初の一般公開持ち株会社である日本産業を中心に、日産自動車、日立製作所、日立電力、日本鉱業、日本油脂、日本水産、日本ビクターなど141社を立ち上げ、10万人の株主から資本を集め、12万人の従業員を雇用し、三井や三菱を抜いて当時最大の民主的コンツェルンを形成しました。

それは少数特定の家族の富を蓄積するための財閥とは本質的に異なります。日本が欧米列強の植民地政策と対抗するには、軍事力ではなく、経済力の発展こそが重要なテーマだと考え、日本の経済を繁栄させるために、あらゆる業種の企業をつくりました。

加えて、単に企業をつくるだけではなく、企業活動にできる限り多くの国民が自らの判断で資金を持ち込んで参加してもらい、国民の経済観念を向上させ、企業の利益を広く還元しようと一般投資家による持ち株制度を初めて導入したのです。

自分が偉くなりたいとか金儲けをしようとか、そういう私利私欲は全くありませんでした。生前、様々な叙勲や表彰、銅像建立の打診はすべて断り、近親者にも株を持たせなかったそうです。とにかく日本のために必死になって働き抜いた人生でした。さもなければ神様や仏様から応援されることはなく、これだけの業績を遺すことはできなかったと思います。

ひるがえって、昨今の世の中を見ていると、自分さえよければ、家族さえよければ、自社さえよければと目下の利益ばかり追求する風潮がまんえんし、日本のために何ができるかという公の精神が失われているように思えてなりません。
「己をむなしうすることが、人の幾代かを要すると思われる大事業もよく1代で成し遂げられる」
義介が遺したこの言葉を噛み締めたいものです。

日産グローバル社長

鮎川雅子

あゆかわ・まさこ

東京都生まれ。昭和48年鮎川義介の次男・金次郎と結婚し、鮎川家に嫁ぐ。55年鮎川経営義塾主幹、平成20年日産グローバル社長に就任。その他、ユニバーシティアカデメイア21学園長も務める。鮎川哲学を次世代に伝承する活動に力を注ぐ。