2023年12月号
特集
けいたいに勝てばきつなり
インタビュー①
  • 木村屋聰本店社長木村光伯

お天道様は
見てござる

2006年、28歳であんぱんの元祖として知られる木村屋總本店の7代目に就任した木村光伯氏。同社は一時期、4期連続赤字を出す経営危機に陥っていたが、木村氏の指揮のもと見事生まれ変わり、2019年には創業150周年を迎えた。その木村屋の変革の軌跡には、単なる経営のノウハウではない〝生きた実践哲学〟が込められている。

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古きを大切に新しきを求める

──木村屋さんといえば「あんぱん」が有名ですが、銀座の地に創業して150年以上経つのですね。

明治2(1869)年に初代・木村安兵衛やすべえがパン屋を興したのが始まりで、パンをなりわいとして150年も事業を続けさせていただいているのは、本当にありがたいことだと感じています。会社によっては業態を変えて事業を続けているところもあり、それも大切なことですが、幸いにも私たちはパン一筋に歩むことができました。それはお客様あってのことですし、守り抜いてきた従業員、先代たちに改めて感謝したいと思います。

──150年間、一貫してパンづくりに精魂を込めてこられたと。

150周年を迎えるにあたり会社の理念を定義し直しました。以前から理念はありましたが、単に言葉を社内に張り出しているだけではけいがい化してしまうので、〝生きた言葉〟にしようと。昔ながらの思いを踏襲とうしゅうしながら、いまの時代に合った言葉に変更しました。
言語化する際は私がトップダウンで決めるのではなく、ベテラン職人の間で昔から大切にされている教えなど従業員の声を織り込みつつ、「食で感動をつなぎ、幸福の輪を広げる」と決めました。
そして理念を日々の行動、一人ひとりの意思決定に根づかせるために、行動指針も策定しました。

──理念をつくって終わりでなく、行動指針にまで落とし込まれた。

商品についても同様です。昔ながらのあんぱんの味を守りながらも、いまの時代に求められていることを融合させて新しい価値を提供していく。その一例が昨年(2022年)、日清食品さんと組んで開発した「完全メシあんぱん」です。伝統の味をそのままに、栄養とおいしさの完全なバランスを追求した商品で、健康な国づくりに貢献できればと考えています。
また、SDGsの流れを受けてフードロス問題にも取り組んでいます。通常パンの日持ちは数日ですが、日持ちの長いパンを開発できないかと試行錯誤しています。

──そもそも、まだ日本にパンの文化がない明治初期にパン屋を始めたのはどういう経緯でしたか?

初代は現在の茨城県牛久うしく市の出の武士で、明治維新が起こり武士階級が廃止されると、職を求めて江戸に出てきました。そこで江戸にいた親戚からパンという食べ物があると聞きつけ、既に50歳だった初代と息子の2代目が暗中模索したことが始まりです。
残念ながら関東大震災で店舗が焼失してしまい詳細な資料は残っていませんが、本店の看板の「木村家」の文字は、木村家の親族が水戸藩の道場で同じ門下だったという山岡てっしゅう先生のごうです。

山岡鉄舟が揮毫した「銀座木村屋」の看板

──では、こういった教えは口伝で教わってきたのでしょうか。

いえ。両親から教えられたことは特段なく、会社に入り経営者として意思決定を迫られる局面に立たされた時に、自分のこれまでの知識・経験では太刀打ちできないと痛感し、自ら会社の歴史を紐解ひもとくようになりました。
祖父だったら、初代だったらこの状況をどう突破するだろうか。あんぱんの発売開始、天皇への献上といった単なる事象ではなく、その時代背景を探り、どういう状況下で、どんな試行錯誤があってそうなったのかといったことを探る中で意思決定プロセスが見えてくるのではないかと考えました。
例えば、明治初期に日本に持ち込まれたパンはホップで発酵させていましたが、食感が固く日本人の口には合わなかった。そこで酒づくりに使用されるこうじを使って生み出したのが酒種酵母で、パンを主食で食べる文化がなかった当時、あんこを入れた菓子にして、明治7(1874)年に「酒種あんぱん」を発売したのです。
翌年に明治天皇に「酒種あんぱん」を献上できたのも、山岡鉄舟先生のご推挙があったからです。山岡鉄舟先生自身も常に新しい情報をキャッチしていた方だったといいますが、常に新しい情報を得て時代の変化に合わせた商品を販売してきたのが、私たちの会社の歴史です。

木村屋聰本店社長

木村光伯

きむら・みつのり

昭和53年東京都生まれ。平成13年学習院大学経営学科卒業後、家業である木村屋總本店に入社。14年に日本パン学校で、翌年にはアメリカに留学してパンづくりを本格的に学ぶ。17年に取締役、18年に常務取締役に就任。同年、7代目社長となる。31年に創業150周年を迎えた。