2024年8月号
特集
さらに前進
対談
  • 和倉温泉加賀屋代表小田禎彦
  • 山一興産社長柳内光子

震災を乗り越え
さらに前進する

経営の要諦は大義にあり

「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で、36年連続総合1位という圧倒的な記録を持つ名旅館・加賀屋(石川県)。しかし今年(2024年)1月に発生したマグニチュード7.6の能登半島地震により甚大な被害を受け、いまも復興に向けた歩みを進めている。その陣頭指揮を執る加賀屋代表の小田禎彦氏と、家業の山一興産を生コンクリートのトップメーカーとして育て上げた柳内光子氏に、体験から導いたリーダーの条件、震災を乗り越え人生・仕事を前進させていく要諦を語り合っていただいた。

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対談は加賀屋が運営する料理旅館金沢茶屋(石川県金沢市)にて行われた。

災害時も発揮された加賀屋のサービス力

柳内 小田さん、初めまして。きょうは素晴らしい出会いをいただいて、ありがとうございます。

小田 こちらこそ、きょうはわざわざ金沢までお越しくださりありがとうございます。お会いできることを楽しみにしていました。

柳内 今回の対談のそもそもの仕掛け人は、輪島市の漆芸家・たかみつさんなんです。
高名さんとはかねて倫理法人会の関係で親交があったのですが、今回の能登半島地震で大きな被害を受けたと聞きましてね。何か応援ができないだろうかと思い、私が20年前に立ち上げた浦安市倫理法人会の20周年式典にお招きし、そこで全国から集まった会員の皆様から募ったご寄付を壇上でお渡ししたんですよ。
そうしましたら、地元・石川県を代表する名旅館である加賀屋さんも、いま震災から立ち上がるべく頑張っているからと、ご縁のある致知出版社を通じて小田さんとの対談を企画してくださったわけですね。

小田 このような機会をつくっていただいた高名さんには感謝しかありません。しかし、能登ではこれまでも大きな地震は何度かありましたが、今回は振り回されるというんでしょうか、経験したことのないものすごい揺れでした。
しかも、新しい年を迎えた1月1日の午後4時10分、コロナがようやく収まり、辰年の今年は心機一転、頑張ろうと張り切っていたところにやってきましたから、なおのこと衝撃を受けました。
ただ、加賀屋にとって不幸中の幸いだったのは、まだ日が暮れる前の時間帯であったということです。そのため、和倉温泉にあるグループ4館合わせて1,100名のお客様を迅速に高台の避難場所に誘導でき、寝具やミネラルウォーターなども配布いたしまして、翌朝11時には皆様を大型バスで無事送り出すことができました。

柳内 メディアにも加賀屋さんの対応の素晴らしさが取り上げられていましたね。災害時でも日本一のサービス力が発揮された。日頃から防災訓練はしていたのですか。

小田 ええ、毎年新しい社員が入ってきますから、消防署の方などにも協力してもらって、災害時にどうお客様を守るか、訓練はしょっちゅうやっておりました。どんなサービスも同じですが、その日頃の訓練がいざという時にしっかり発揮されたというわけです。

和倉温泉加賀屋代表

小田禎彦

おだ・さだひこ

昭和15年石川県生まれ。37年立教大学卒業後、家業の加賀屋に入社。専務取締役を経て、54年父の死去を受け社長就任(後に代表)。石川県人事委員、石川県観光連盟理事長、七尾商工会議所副会頭、和倉温泉観光協会会長、能登半島広域観光協会理事長などの公職を数多く歴任。21年石川県産業功労章、23年石川県七尾市文化産業賞受賞など受賞多数。

全国からの支援に力を得、復興への道を邁進する

柳内 加賀屋さんの建物も大きな被害を受けたと伺っています。いまはどのような状況なのですか。

小田 何しろ揺れがものすごかったですから、建物も相当な被害を受けているだろうと予想していました。案の定、加賀屋のせつげつ、能登渚亭なぎてい、能登客殿、能登本陣その他の姉妹旅館など、主なところはいまもすべて休業しており、再開のは立っておりません。通常通り営業できているのは、地震の被害が少なかったここ金沢茶屋だけです。
一日も早い営業再開を目指しいろいろ取り組みは進めておりますが、建築業界の人手不足や昨今の国際情勢を受けた資材高騰が絡み、なかなか思うように復旧が進められていないのが現状なんですね。
そんな中で有り難いことは、他の地域で災害が起こった時に果たして自分はここまでの応援ができるだろうか、と恥ずかしくなるくらい全国からたくさんの支援を頂戴していることです。いままでの私たちがやってきたこと、努力が報われたような気がして、社員たちも一層自覚と誇りを高めていますし、全国の温かいご支援に応えていくためにも、私自身必ず営業を再開させるんだという決意をますます強くしているところです。

柳内 私は東日本大震災が発生した時、たまたま仕事で海外に行っていて、地震の揺れの恐ろしさは経験したことがないんです。
ただ、本社のある千葉県浦安市では液状化現象がひどくて大変でした。それを当時の市長が先頭に立って動き、政府や様々な団体、関係者に直談判し、短期間で復旧・復興させていったんですね。
ですから、一人でやってもらちがあきません。小田さんもこの地域だけで考えずに、共助の精神でいろいろな人の力を借りて、ぜひ加賀屋、能登のブランドを守り抜いていただきたいですし、私もぜひ協力できればと思っています。
あとは、人口の半分いる女性を活用することが、能登の復興だけでなく日本の発展には不可欠だと思うんですね。私も当社の経営はもちろんのこと、女性初の浦安商工会議所会頭として12年間地域を盛り上げてきました。男性はどうしても上下関係や組織にそんたくするところがありますが、女性は何でも「母の心」で忖度なしにどんどんやっていきます(笑)。私の4人の娘も全員当社の事業に関わってくれていて、すごく頼りにしています。女性は宝なんですよ。

小田 おっしゃる通りで、旅館業では最もお客様の近くで接客する客室係をはじめ、女性の活躍がものすごく重要ですし、私は「のと地区輝く女性の会」の相談役もやっているんですね。ですから、柳内さんにはぜひ女性活躍についてもノウハウを教えていただき、一緒に能登の復興、活性化に取り組んでいければと思っています。

山一興産社長

柳内光子

やない・みつこ

昭和14年東京生まれ。32年家業である内山甚一商店(建材店)に入社。その後、生コンクリート業に進出し、38年実兄と共に内山コンクリート工業(現・内山アドバンス)を創業。44年に生コンクリート・建設資材の総合商社・山一興産の設立に参画、59年社長就任。社会福祉法人豊生会、医療法人社団健勝会、学校法人草苑学園も運営。平成16年浦安商工会議所会頭。19年藍綬褒賞、24年渋沢栄一賞、26年春の叙勲で旭日小綬章を受章。