2018年7月号
特集
人間の花
対談
  • 天台宗圓融寺住職(左)阿 純章
  • 臨済宗円覚寺派管長(右)横田南嶺

いまをどう生きるのか

人間を深める道

花が咲いている。精いっぱい咲いている。私たちも精いっぱい生きよう——かの松原泰道師の言葉である。その言葉に導かれ、40年にわたり禅の道を歩んできた横田南嶺師と、宗祖伝教大師の法脈を継ぐ天台の名刹を担う阿純章師。それぞれの道で真理を追究してきたお2人に、人間いかに生き、いかに花を咲かせるか、語り合っていただいた(写真:圓融寺の境内に立つ都内最古の木造建築で、国の重要文化財に指定されている「釈迦堂」を前に)。

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これでいいという完成形はない

横田 先日、おか先生が円覚寺えんがくじにお見えになったのは、2月1日でしたね。天台宗のお坊さんたちの研修会で話をしてほしいというんで、私が親しくさせていただいている龍雲寺の細川晋輔ご住職と一緒にお越しいただいて。

 横田老師には、以前からぜひ一度お目にかかりたいと願っておりました。若くして円覚寺の管長に就任され、禅の教えをすごく柔らかく説かれているのに大変感銘を受けて、いったいどんな方なんだろうと。
こちらから気軽にお声掛けできるような方ではありませんでしたが、私が副所長(当時は教学主任)を務めている若手育成の研修会で講師をお願いできないかと考えまして、ダメ元で細川ご住職にご相談してみたら、「では、今度円覚寺さんへ一緒に伺いましょうか」と。予想外にすんなりとお引き合わせいただいたので助かりました。

横田 私も事前に阿先生の本を読ませていただいたんですが、実にいい本でした。『致知』の連載でもご紹介しましたが、お釈迦しゃか様にお目にかかるために旅に出た男性の話なんかもよかったですね。
旅の道中、いつも何かが起きてお釈迦様に出会えない。ようやくあと一息というところで、道に倒れていた瀕死ひんしの鹿を助けていた間に、お釈迦様は涅槃ねはんに入られてしまった。男が嘆き悲しんでいると、実はその鹿がお釈迦様だったと。お釈迦様は、それまでも常に一緒におられたというわけですね。
私も仏教について自分では勉強してきたつもりですが、聞いたことのないお話でした。よほどいろんな勉強をしていないと、ああいうものは書けないと思いました。
ですから、学者風の少々近寄りがたい方なのかと思いきや、非常に柔軟な方であったので、初めてお目にかかった時も随分話が盛り上がりましたね。

 私も本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。横田老師とお話ししていると、『碧巌録へきがんろく』の「清風地をめぐりて何の極まりかあらん」という言葉のように、一切合切すべてを清らかな風で包み込んでいく力が伝わってくるようで、とても清々すがすがしい気持ちになるんです。そして、坐禅で培われた力というのは、こういうふうに現れるのかと感じ入りました。

横田 と、おっしゃいますと。

 力には、英語でいうアビリティ(能力・技能)を習得する力と、キャパシティ(度量)を深めていく力の2つがあって、僭越せんえつながら禅の力というのはキャパシティのほうかなと思っております。横田老師には底抜けの度量というものを感じたわけですが、そういう方が、坐禅の坐り方がこの頃初めて分かったとおっしゃったものですから、ビックリしたんです。

横田 いや、もう日々発見、日々発見ですよ。坐禅の工夫はいまでもやってますから、あの時よりもさらに進んだと思っています。
先日も、仏様がはすの花の上に立たれているのを見て、なるほどなと。あれは固い所じゃないから、力で立つのではなくて、ふわぁっと立っていらっしゃることを発見して、早速自分の坐り方も見直したところなんです。
とかく人間は安定、安住したがりますけど、一つのところに留まることはできません。だから坐禅の姿勢も、これでいいっていう完成形はないんです。なるほどこうかと、新しい発見をずっと積み重ねながら楽しんでやっていますよ。

臨済宗円覚寺派管長

横田南嶺

よこた・なんれい

昭和39年和歌山県生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。著書に『人生を照らす禅の言葉』『禅が教える人生の大道』(ともに致知出版社)など多数。

感動こそが人を動かす

 横田老師は、2017年末から花園大学の総長としてもご活躍なさっていますね。

横田 本当はもっと偉い人がなるんですけど、どういうわけかお鉢が回ってきましてね(笑)。完全な名誉職と聞いていましたから理事長に、「入学式と卒業式だけ行けばよろしいですか?」と伺ったら、「年に何回でも構いませんから、生徒に直接話をしていただけませんか」と頼まれたんです。
ところが学生というのは、学ぶことがあんまり楽しそうにない。私は逆に、学べば学ぶほどますます楽しいので、ワクワクしながら学んでいる自分の姿勢を見てもらいながら、禅の魅力を伝えていけたらと思っているんです。
『致知』でもお馴染なじみの森信三先生に、「教育とは流水に文字を書くような果ない業である。だがそれを巌壁がんぺきに刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」という言葉がありますが、そういう心掛けでやれるところまで頑張ろうと。

 禅の指導のほうは、もう随分長くおやりになっていますね。

横田 雲水うんすいの指導者になったのが平成10年ですから、ちょうど20年になります。10年くらい経験を積むと「こうやればいいのかな」という感覚が得られてくるんですが、実際にやってみるとまったく通用しないのが人間です。経験値は通用しないから、いつもまっさらな気持ちで臨むことが大事です。
以前農家の方とお話しした時に、「百姓なんてやっていれば上手くなると思うかもしれないが、自然が相手だから毎年初心なんです」とおっしゃっていました。人間も同じように分からないものであって、日々試行錯誤の連続です。
そういう意味で大変勉強になっているのが『致知』の木鶏もっけい会です。たくさんの会社で行われているのを円覚寺でも導入しましてね。もう3年くらい続けていますよ。

 『致知』の木鶏会とおっしゃいますと?

横田 毎月『致知』を読んで皆の前で感想文を発表するんです。これがいいのは、美点凝視という鉄則があって、発表者の悪いところは絶対に言わずに、褒めて拍手をするんです。禅というのは、おおよそ褒めるということがありませんし、老師にものを言うのも難しい世界なんですが、木鶏会のおかげで修行僧たちがいま感じていることもよく分かるし、寺の雰囲気もどんどんよくなっていますよ。
その木鶏会で、ある雲水が感想文に私のことを書いてくれましてね。「老師は坐禅を喜んで実践なさっているし、坐禅のことを感動をもって生き生きと話してくださる。そういう老師の姿を見て、素晴らしいと思う」と。それを聞いてなるほどなと。彼らに伝わるのは感動だということが分かったんです。

円覚寺で毎月行われている『致知』の木鶏会

 あぁ、伝わるのは感動だと。確かにそうかもしれません。

横田 私を導いてくださった松原泰道たいどう先生も、90いくつの時にくださったお手紙に「今年は感動を大事にしたい」と書かれていました。その時はあまりピンとこなかったけれども、いまにして思えば大変なことでね。やっぱり私自身も松原先生のように、いくつになっても日々研鑽けんさんを積んで、新しいことに挑戦して、そこから得た感動を伝えていきたいと思うんです。

 「感動」という言葉はあっても、「知動」という言葉がないのは、やはり人を動かすのは知識ではなく、感じたものだからではないかと私も思います。私は、うちの寺で運営する幼稚園で10年近く子供たちと向き合ってきましたが、彼らの心に伝わるのはやっぱり何かに共感したこととか、面白いと思ったことであって、感動こそが教育の一番の中心だということを実感しています。

天台宗圓融寺住職

阿 純章

おか・じゅんしょう

昭和44年東京都生まれ。平成4年早稲田大学卒業。15年同大学大学院文学研究科東洋哲学専攻博士課程退学。大学院在学中、北京大学に中国政府奨学金留学生として留学。帰国後、早稲田大学、専修大学等で非常勤講師を務める。現在は天台宗圓融寺住職、円融寺幼稚園園長。著書に『「迷子」のすすめ』(春秋社)。