2023年2月号
特集
積善せきぜんいえ余慶よけいあり
インタビュー②
  • 虎屋本舗会長、十六代目当主高田信吾

400年の歴史は
「伝統」と「革新」にあり

広島県福山の地で、今年(2023)創業402年を迎える和菓子屋・虎屋本舗。その16代目当主である高田信吾氏は、31歳で社長に就任し、革新的なアイデアで傾きかけた会社を再建させてきた。歴史と伝統ある老舗企業をいかにして立ち直らせたのか。その要諦に迫る。

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様々な逆境を乗り越えて辿り着いた創業400年

——お菓子づくり一筋に402年。企業寿命30年とも言われる中で、御社はその10倍以上の歴史を刻んでこられました。

おかげさまで、多くの方に支えられ、ここ広島県福山の地で、創業402年を迎えることができたことに感謝しています。
私は「虎屋本舗」十六代目の当主として、1990年、27歳で家業に入り、それから32年、この道一筋に歩んできました。2021年には息子に社長を譲り、現在は会長として社の発展に力を入れているところです。
東京に本社のある「とらや」さんと間違われることもありますが、実は「虎屋」という名の店は全国に50〜60くらいあるんです。

——御社の歴史は、どのようなところから始まったのでしょうか。

弊社はもともと高田屋の屋号で、江戸初期の1610年頃まで廻船問屋かいせんどんや(当時の海運業)と染物屋を営んでおりました。元和げんな6(1620)年に菓子匠を始めることとなり、弊社ではこの年を創業年としています。
その2年後に、福山城が完成し、茶の湯の会に、初代・宗樹が抹茶と砂糖でできたまんじゅうを献上しました。
すると当時の藩主・水野勝成かつなりがこの饅頭を大変気に入り、自ら「左義長さぎちょう」と名付けたそうです。これは、いまでも看板商品「とんど饅頭」としてご好評いただいていますが、この茶の湯の会以来、福山藩の御用菓子司となり、菓子業に専念することとなりました。 
現在の「虎屋」に屋号を変えたのは、寛延かんえん3(1750)年、8代目の助四郎の代で、現在の看板商品でもある虎模様のどら焼き「虎焼とらやき」が誕生したのもこの頃です。
また、昭和20(1945)年、私の祖父に当たる14代当主・銀一の時代には、空襲で駅前の店舗や工場を失ったこともありました。B29の爆撃機を目にした銀一がとっに地下壕へ小豆あずきと砂糖、顧客台帳を放り込み、焼け野原からそれらを掘り起こして、何とか店の再建を図ったとも聞いたことがあります。

——400年の重みを感じます。

特に戦争を経験した祖父からは「日本が本当に豊かな国になるためには、菓子という文化がやっぱり大事なんじゃ。皆が当たり前のように菓子を食べられるようにならないといけない」と、亡くなる直前まで言い聞かせられてきました。この言葉はいまでも私たちの使命として大切にしています。

——伝統を大事にする社風の中で、高田会長はどのように新しい風を吹かせてこられたのでしょうか。

チーズやバター、抹茶などを挟んだ洋風の生どら焼き「虎ちゃん」をはじめ、様々な新商品に挑戦してきましたが、その中でも、大ヒットを記録したのが2003年に発売された「そっくりスイーツ」シリーズです。
例えば人気商品の「たこ焼きにしか見えないシュークリーム」は、上にかかっているソースはチョコレート、青のりは抹茶のスポンジのそぼろ、鰹節かつおぶしはチョコのスライスでつくられており、この見た目と味のギャップや商品のユニークさがお客様から好評をいただきました。その後、和菓子のそっくりスイーツなども展開を広げ、2016年には「全国お土産みやげグランプリ」にも選んでいただきました。
他にも「ざるそばそっくりなモンブラン」「うな重そっくりなミルフィーユ」など、味はもちろん、見た目にも楽しい商品も取り扱っています。

虎屋本舗会長、十六代目当主

高田信吾

たかだ・しんご

昭和38年広島県生まれ。虎屋本舗十六代目当主。國學院大學経済学部卒業後、アパレルメーカーに勤務し、先代の危篤をきっかけに、平成2年(株)虎屋本舗入社。6年、社長に就任。令和3年より会長。