2022年6月号
特集
伝承する
対談
  • 早稲田大学名誉教授(左)池田雅之
  • 椿大神社宮司(右)山本行恭

子々孫々に遺しておきたい
日本の心

伊勢国一の宮で、猿田彦大神を祀る全国2,000余社の大本宮として、創建2025年の歴史を刻んできた椿大神社(つばきおおかみやしろ)。主神・猿田彦大神とその妻神・天之鈿女命(あめのうずめのみこと)にまつわる神話には、現代社会が抱える困難を乗り越え、道を切りひらいていく要訣が詰まっているという。椿大神社宮司を務める山本行恭氏と日本神話に造詣の深い池田雅之氏が語り合う、神代から連綿と受け継がれてきた「日本人の心のあり方」「かんながらの道」とは─。

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祈りと言霊の力

池田 郷里三重県の椿つばきおおかみやしろにはぜひ伺いたいと思いながらもなかなか機会がなく、今回こうした形でお参りすることができて、大変嬉しく思います。
コロナやウクライナ危機などでへいそくしている時代に、道ひらきの神様であるさるひこおおかみとその妻神で状況に風穴をあける力を秘めたあめうずめのみこと、この二柱にまつわる神話(『古事記』と『日本書紀』)を通して、これから日本及び世界はどう難局を突破し、道をひらいていけばよいか。そうした問題意識で、日本人の心の底に流れている神道の教えとは何か。そういうお話を山本宮司にお聴きしたいと思って参りました。

山本 ロシアとウクライナの戦争は非常に大きな問題で、一日も早い終戦を誰しも願っている状況にあります。その時にどういう行動を取るか。私はやはり「祈り」が重要だと思うんです。
世界の様々な宗教者が年に一度集うえいざんサミットに以前出席した際、あるそうじょう様が祈りについて大事なことをおっしゃいました。「祈ったからといって、必ずしも争いが終わるわけではない。けれども、祈ることをやめたらもっともっと恐ろしい事態になる」と。
ノーベル文学賞を受賞したウクライナの女性作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチさんも「声を上げたくないけど、声を上げなければもっともっとわざわいが増えていく。だから、どうしても声を上げないといけない」というむねの発言をされていました。
椿大神社ではコロナ禍と戦争の収束を全神職が毎日念じながら声に出してごとうをしているのですが、祈りの力やことだまの作用を全世界に波及させるべく、大いにえんしていきたいと思っています。

池田 私たち一般の日本人は戦争を止めるために具体的に関わることはできないとしても、山本宮司がおっしゃったように祈りと言霊を届けることはできるはずです。
日本人はもともと祈りの民だったと思うんです。今日でも天皇陛下が、常に国家国民のあんねいと繁栄を願われてお祈りをささげてくださっています。私たちも日々新たな気持ちで、心を込めて全身全霊で祈る。そういう信仰心は、日本人が根底に持っているものですし、生き抜くための力になるものです。
祈るは英語では「prayプレイ」と言いますが、日本の祈りはそれとは意味合いが違います。得てして西洋人の祈りは個人的な願望、自己実現の要素が強いんですけど、日本の祈りは自分のことだけではなく、人々との調和や平和への思いから生じていると思います。そして、いまこの日本の祈りの力を復活させていく必要があると思います。

山本 ウクライナは小麦の産地でしょう。それが戦争によって収穫できない。アメリカも今年は不作だということですから、家庭の食料事情に大きく影響してきます。
石油のこうとう、地震のひんぱつ、4月半ばなのにきょうも夏の天候じゃないですか。こうなってくると漁獲高も減ってくるかもしれないですし、稲作も不作になる可能性がある。万事がマイナスに向かっている節がありますから、今年は危機迫る年なのかもしれません。
日本の神社は全国10万社といわれています。10万社の神々にはそれぞれ役割、働きがあるんです。そこにお仕えしている我われ神職だけではなく、日本国民皆が祈ったら、万事よい方向にお導きくださるに違いないですよね。天地自然の調和がもたらされ、私たちの生活がうるおっていくように、言葉に出して毎日祈りを捧げましょうと申し上げたいです。

池田 僕は鎌倉に住んでいて近所の神社仏閣と付き合いがあるものですから、祝詞のりとはんにゃしんぎょうを毎日唱えているんです。ただ、神社やお寺、あるいは教会に行ってお祈りすることも大事ですけど、ごく普通の日常生活の中に、手を合わせなくても、かしわを打たなくてもいいから、心を込めて祈る気風をつくっていきたいなと、素人ながら勝手に考えているんです。

山本 いやいや、まったくおっしゃる通りで、私も同感です。

椿大神社宮司

山本行恭

やまもと・ゆきやす

昭和27年大阪府生まれ。50年皇學館大學卒業後、椿大神社出仕。平成14年宮司に。神社本庁参与、國學院大學協議員、皇學館大学協議員、三重県神社庁副庁長、神道講演全国協議会会長などを務める。

不運をチャンスに

池田 確かにいまは危機的な時代で、先の見通しが立ちにくいですが、我われがもう一度新たに生き直すための再出発点にしていかないといけません。
せんせいじゅつでは2020年辺りを境にして、「土の時代」から「風の時代」に転換しつつあると言われています。「土の時代」というのは物質主義・資本主義、お金や不動産をはじめ目に見えるもの、形あるものに価値を置く時代のことです。一方、「風の時代」というのは自由で多様性・柔軟性に富み、知識や体験、感性、心といった目に見えないもの、形のないものが重要視される時代です。

山本 世の中を見ていると、その兆候は随所に見られますね。

池田 「不運はチャンス」というように、現時点では相当つらく苦しいとしても、そこからどういう希望や展望を見出していくか。コロナ禍ゆえに、新しい生活様式を求めて都会のざっとうを離れ、田舎でリモートワークをするとか、自ら会社を立ち上げるとか、そういう現象が起きているのは一つのチャンスですね。

山本 「コロナで困った、困った」と言ったって、皆困っているんだから、慌てふためいても仕方ない。そんなことを嘆くよりもいま何ができるか、次にどうしたらいいかを考えていこうと、私どもは2年前から「せいこうどく」を一つのテーマに掲げています。
まさにコロナ禍は雨の期間で、外に出ていけない状態。だからといって、立ち止まっては生きていけません。晴れた時に存分に行動できるよう、じっと耐えながらも多種多様なアイデアを考え、スキルアップすることに時間を使ってきました。
猿田彦大神は新たな道を切りひらくお導きの神様で、「何があっても絶対に前を向け、前へ前へ前へ進め」という教えですから(笑)、それだけは貫いてきたんです。

池田 猿田彦大神の教えは前進あるのみだということですね。そこから新しい未来がひらかれると。

山本 池田先生がおっしゃったように、コロナ禍によって時代は大きく変わりました。その中でプラス面の例を一つ挙げると、それまで仕事ばかりで家庭をかえりみなかったけれども、コロナ禍によって家族と過ごす時間が増え、より人間らしい生活が営めるようになった方もいらっしゃるでしょう。
するとそこに感謝が生まれると思うんですね。「きょう一日、無事に過ごせてよかった」「明日も素晴らしい日になりますように」と。祈りと感謝は一体で、それをずっと続けていくと徳が備わる。有徳の人のもとには周囲から人が集まってきて地域が栄えていく。
そういう連鎖をどんどん起こしていけば、先細りの日本や世界が逆に大きく伸びていくチャンスになると捉えています。

早稲田大学名誉教授

池田雅之

いけだ・まさゆき

昭和21年三重県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒業。明治大学大学院博士課程修了。専門は比較文学、比較文化論。小泉八雲など数多くの訳書を手掛ける翻訳家。文部科学大臣奨励賞、正力松太郎賞等を受賞。著書に『小泉八雲 日本美と霊性の発見者』(KADOKAWA)、編著に『お伊勢参りと熊野詣』(かまくら春秋社)など多数。