2022年6月号
特集
伝承する
トップインタビュー
  • 京阪ホールディングス会長加藤好文

経営の要諦は
創業精神の伝承にあり

「近代日本経済の父」・渋沢栄一によって明治39(1906)年に創立された京阪ホールディングス。渋沢翁の創業精神を脈々と伝承する同社は、鉄道事業を中核としながらも、時代の変化に柔軟に対応し、新たな事業に果敢に挑戦することで今日の発展を築いてきた。経営トップとして同社を牽引し、様々な改革に取り組んできた加藤好文会長に、これまでの人生の歩みと共に、リーダーの条件、企業永続の要諦をお話しいただいた。

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渋沢翁の書簡が教えてくれること

——「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一翁によって創業された御社は、いまもその創業精神を受け継ぎ、社会に貢献する様々な事業を広く展開されています。

きょうは当社の設立に関係する渋沢翁の直筆の書簡を持ってきました。これは私が社長になった2011年にたまたま見つかったものなんです。東京にお住まいのある方が、東日本大震災後に家の中を片づけていたところ、この書簡が出てきたとのことでご連絡いただき、お譲りいただいた。
ただ、貴重な史料ですから、広く一般の方に公開してもらったほうがいいのではないかと、かねて親交のある渋沢史料館の井上潤館長に相談したのですが、「京阪さんがお持ちになったほうがいいでしょう」とおっしゃるので、いまも私の執務室に額装して掛けてあるんです。毎日この書簡に「きょうも一日よろしくお願いします」と拝んでから仕事を始めています。

鉄道敷設への熱意が伝わってくる渋沢栄一の直筆書簡(写真提供:京阪ホールディングス)

——毎朝創業者の書簡を拝んでから仕事を始められる。素晴らしいですね。その書簡にはどのようなことが書かれているのですか。

実は、渋沢翁は京阪電気鉄道(現・京阪ホールディングス)の設立許可を政府に得るまで、3回チャレンジしているんです。
明治28(1895)年に「近畿鉄道」という名称で申請を行った時には、他の路線と競合するということでうまくいかず、明治30年に「京阪鉄道」という名称で行った二度目の申請では、仮免許までいったものの大恐慌の影響で株主が集まらず、本免許に至らなかった。それでもあきらめなかった渋沢翁は、競合関係にあった関西財界人グループと団結し、結果、明治39(1906)年に特許状が下り、3度目の正直で「京阪電気鉄道」の設立に至るのです。

渋沢栄一(1840年~1931年)©国立国会図書館「近代日本人の肖像」

——渋沢翁の熱意、諦めない心が御社を誕生させたのですね。

それでこの書簡は2度目のチャレンジの時に書かれ、発起人の一人に協力を仰ぐ内容が記されています。書簡には実現しなかった幻の会社「京阪鉄道」の社印が押してあるのですが、その社印の朱が100年以上経ったいまでも鮮やかで、まるで渋沢翁の鉄道せつに対する並々ならぬ意気込みが伝わってくるような気がします。

京阪ホールディングス会長

加藤好文

かとう・よしふみ

昭和26年京都府生まれ。50年東北大学卒業後、京阪電気鉄道(現・京阪ホールディングス)入社。流通事業本部流通開発部次長、経営政策室部長、取締役常務執行役員等を経て、平成23年社長。令和元年より現職。