2025年7月号
特集
一念の微
対談
  • エターナルホスピタリティグループ社長CEO大倉忠司
  • 串カツ田中ホールディングス会長貫 啓二

一念の積み重ねこそ
経営の真髄しんずいなり

群雄割拠の飲食業界において、独自の経営手腕で躍進を牽引する2人の経営者がいる。焼鳥屋「鳥貴族」を徒手空拳で立ち上げ、居酒屋チェーンとして日本一の店舗数へと育て上げてきた大倉忠司氏。世田谷の住宅街の一角から串カツ専門店「串カツ田中」をスタートし、僅か11年で東証一部上場へと導いた貫啓二氏。10年以上にわたり親交を深めてきた両氏に、苦難の道のりで積み重ねてきた一念、人生と経営を発展させる要諦を語り合っていただいた。

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    対談は4月8日(火)、昨年(2024年)7月に移転した大阪市内のエターナルホスピタリティグループ本社オフィス(アーバンネット御堂筋ビル20階)にて行われた。

    10年以上にわたり親交を深めてきた間柄

     大倉社長、お邪魔します。開放的でいいオフィスですね。

    大倉 ご足労いただいて、ありがとうございます。ぬきさんとは昨日も一緒に食事をしましたけど、面と向かって対談するのは今回が初めてですよね?

     そうですね。ただ、普段から仕事の相談や情報交換を惜しみなく行っているので、とても初めてとは思えない(笑)。

    大倉 貫さんと最初に出逢ったのは2012年頃、飲食店経営者向けの勉強会「太陽の会」でした。太陽の会は外食企業の経営者同士が情報を共有する場として、東京の酒屋の社長が開いた勉強会です。50名限定の完全紹介制ながら参加希望者が絶えませんでした。
    私は縁あって設立初期から参加していて、途中で貫さんが入ってこられた。確か、最初の懇親会では席が隣同士でしたよね。

     大倉社長の話を聞きたい一心でしたから、すぐ隣に座りました。その頃の「串カツ田中」は10店舗ほど展開していたものの、会社づくりとは何かをよく分からないまま成長させてきた節があり、経営のイロハを学びたかったんです。
    一方の「鳥貴族」は300店舗を超えていたので、大倉社長はまるで違うステージの存在でした。いまなお店舗数は300以上の差がある。一つも詰まっていませんね。

    大倉 いえいえ、とんでもない。貫さんの第一印象は、トレードマークだった白縁の眼鏡。こんなことを言ってはなんですが、チャラい人に見えました(笑)。
    ところが、実際に話をするといまのようなソフトな語り口調、それとしんに学ぼうとする謙虚さ。誠実な人柄がひしひしと伝わってきて、そのギャップがすごく印象的だったのを覚えています。

     お恥ずかしい限りです。当時の大倉社長のお話はどれも頭から離れません。特に影響を受けたのは、「上場してもしなくても、いつでも上場できる会社にしておくことが大事」という言葉です。
    最初はよく理解できませんでしたが、上場基準を調べていくうちにその真意が分かりました。ガバナンスやコンプライアンスを含め、上場基準には企業が発展するために不可欠な要素がすべて詰まっているんです。そこから教育や採用に一層投資したことで、安定的に成長するための経営基盤が築かれました。だから、大倉社長あっての串カツ田中なんです。

    大倉 初めて聞きました(笑)。

     他にも、誰とでも分けへだてなく接する姿勢はすごいなと。

    大倉 私は、人間は平等だと考えています。会社では上下関係が生まれますけど、報酬以外はできるだけ対等にしたいというのが私のポリシーなんです。ですから、オフィスでは社長室を持たず、全員が固定席のないフリーアドレスです。そのほうが風通しもいい。現に、デスクで食事を取っている時でも社員が次々報告に来ますから。

     新幹線も一般の指定席を使うじゃないですか。それはとても真似まねできないなと。大倉社長は自分で決めたこと、信念は断固として曲げない。尊敬しています。

    エターナルホスピタリティグループ社長CEO

    大倉忠司

    おおくら・ただし

    昭和35年大阪府生まれ。54年調理師専門学校卒業後、大手ホテルのイタリアンレストランに勤務。地元の焼鳥店を経て、60年「鳥貴族」1号店を東大阪市内に開業。61年イターナルサービス(現:エターナルホスピタリティグループ)を設立、同社社長に就任。平成28年東証一部(現・プライム)上場。現在、鳥貴族は直営店、FC店合わせて約650店舗を展開している。著書に『鳥貴族「280円均一」の経営哲学』(東洋経済新報社)がある。

    海外での成功なくして将来はない

    大倉 コロナを経て、飲食業界を取り巻く環境は大きく変化しました。まさに、世界中で門が開き始めたタイミングといえます。
    その中でも若い経営者を見ていて気になるのは、自らつくり上げた会社をすぐに売ること。私は鳥貴族を途中で手放そうと思ったことなど一度もありません。この会社をどこまで成長させ、社会に影響を与えられるか。そればかりを考えてきたので、自分の会社を売るのはいまだに理解できません。

     おっしゃる通りです。やはり、企業体は成長していることに魅力があると思います。会社は人が動かしている生き物のようなもの。全身に血液を通わせるためには、成長し続けなくてはいけない。コロナ禍は我慢の時でしたけど、長いトンネルを抜け出した現在は目いっぱいアクセルを踏み、攻めの姿勢を見せているところです。

    大倉 いまはどんなことに特に力を入れていらっしゃいますか。

     世界に目を向けています。当社は首都圏を中心に串カツ専門店「串カツ田中」を約330店舗展開し、前期(2024年11月期)売上高は168億円、営業利益は8億円と、コロナ禍の落ち込みから回復しました。しかしインバウンド率が低く、全体ではわずか1%しかいません。ここに当社の可能性があると思っています。
    昨年8月には新業態「京都天ぷら 天のめし」を開業しました。これまで串カツで培ってきたノウハウを生かし、天ぷらや和牛を用いたコース料理でインバウンド需要を取り込んでいます。加えて、アメリカオレゴン州ではカツサンド店「Tanaka」を3店舗運営しており、今後拡大する予定です。
    外食業界のマーケットは胃袋の数というように、今後人口が急激に減ると予測される日本では衰退産業とみなされています。けれども、世界の胃袋は増加している。なので、僕たちは「成長産業の中にある」と社内外に発信しています。そのほうが社員も安心して働けると考えているんです。

    大倉 当社は全国に約650店舗を構える「鳥貴族」が中核を担い、前期(2024年7月期)の売上高419億円、営業利益32億円は共に過去最高でした。貫さんと同様に、我々もいま海外に大きなチャンスがあると考えているので、「海外での成功なくして将来はない」を合言葉に、本格的な海外展開に乗り出しています。
    昨年8月のロサンゼルスを手始めに、台湾、韓国、香港と立て続けに出店しました。長年築いてきたブランドイメージを崩さないために品質は一切妥協せず、台湾や韓国では国内とほぼ同メニューをそろえています。幸い、各地で想定以上の反響をいただけているのは、訪日外国人に鳥貴族を知ってもらったことが大きいのでしょう。
    また、会社を売る人が多いということは、買うチャンスもあるということ。2023年には焼鳥専門店「やきとり大吉」を約500店運営するダイキチシステムを買収しました。お互いに相乗効果を発揮し合い、焼鳥屋グループとしての絶対的な信頼と認知度をつくっていきたいと思っています。

     大倉社長は最近よく「Globalグローバル YAKITORIヤキトリ Familyファミリー」と口にされていて、御社のビジョンにも掲げていますよね。つまり、焼鳥という食文化の地位を世界で向上させようと取り組まれている。初めて聞いた時は衝撃を受けました。

    大倉 寿司やラーメンは世界的に広まっています。でも、焼鳥の認知はまだまだ。我々の事業を通して「YAKITORI」という言語を世界中に広めることで、社会を明るく照らしていきたいんです。

     僕たちの場合はより顕著で、串カツは大阪の郷土料理の枠に留まっているのが現状です。実際、「どこの串カツ屋に行こうか」と、通天閣以外の場所で相談されたことは一度もないと思うんですよ。
    それほど小さいマーケットにもかかわらず、当社がここまで拡大してきたのは、串カツ田中というブランドを大事に育ててきた恩恵ではないでしょうか。この串カツ田中愛こそが当社の最大の武器なんです。1,000店舗を達成し、串カツ田中の串カツを日本を代表する食文化にしたい。僕たちが飽きられた瞬間に、串カツ文化が日本から一気に衰退してしまうというほどの覚悟で日々頑張っているんです。

    大倉 素晴らしい一念です。

    串カツ田中ホールディングス会長

    貫 啓二

    ぬき・けいじ

    昭和46年大阪府生まれ。平成元年高校卒業後、トヨタ輸送入社。10年ショットバーを大阪市内に開業。14年ケージーグラッシーズ(現:串カツ田中ホールディングス)を設立、同社社長に就任。様々な飲食業を営んだ後、20年「串カツ田中」1号店を東京・世田谷にオープン。令和元年東証一部(現・スタンダード)上場。4年より現職。現在、串カツ田中は直営店、FC店合わせて約330店舗を展開している。