2023年8月号
特集
悲愁ひしゅうを越えて
インタビュー③
  • 佐藤第二病院院長田畑正久

人生の老病死を
受け止めて生きる智慧ちえ

大分県宇佐市の佐藤第二病院院長・田畑正久氏は、死と向き合う長期療養患者の診療に当たる一方、仏教伝道者としての顔を持つ。長年、医療と仏教との接点を模索し、縁ある人たちに老病死を乗り越える力を与えてきた田畑氏の話は、そのまま人生の悲愁を越える智慧でもある。

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仏法を伝え続けるドクター

——田畑先生は医師として日々患者さんと接する一方で、「歎異抄たんにしょうに聞く会」を主宰するなど地元の皆様に仏教を伝えられているそうですね。

はい。私が院長を務める佐藤第二病院(大分県宇佐市)は小児科、内科、心療内科があり、他にも病弱なお年寄りなど長期療養の患者さんを50人ほどお世話をしています。その患者さんの主治医として仕事をしています。
医療の療養型は急性期病院と違って、患者さんにいかに自然に最期を迎えていただくかに治療の重点を置いていますから、老病死との向き合い方は私自身の大きなテーマでもあるわけです。
「歎異抄に聞く会」については、もともとは35年前に伯父の家で始めたもので、現在は私が属するお寺で月に1回開いています。地元の浄土真宗じょうどしんしゅうの信徒さんを中心に毎回20~30人が参加してくださいますが、考えたらもう400回以上、浄土真宗の御教みおしえを伝えてきたことになりますね。

——医師が聞法もんぽう会を主宰するというのは、とても珍しいのではありませんか。

そうかもしれません。しかし、人間の生老病死の四苦しくに関わるという意味では医療も仏教も同じ四苦を課題としています。仏教は決してお坊さんの専有物ではありません。
私は母校の九州大学病院勤務を経て38歳の時に故郷の大分に帰り、国立中津病院で外科医をしていました。当時、医療と仏教の連携が少しずつ歩み始めていて、一部の病院がキリスト教のホスピスの考えを仏教の形式(ビハーラ)で取り入れ始めていました。そういう時代の流れの中で週1回、病院の患者さんを対象とした仏教講座を病院の会議室で開くようになりました。と同時に、地元でも仏教の仲間づくりをしたいと思って始めたのが、「歎異抄に聞く会」なんです。
国東くにさき広域国保総合病院(現・国東市民病院)に移ってからも、週に1回の病院内の仏教講座を続けました。「なぜそんなことをやるのですか」という同僚の医師らの反発にもめげずに、17年間続けることができました。
その後、長野県の飯田女子短大や京都の龍谷大学で仏教と医療の関わりについての教鞭きょうべんを執り、4年前(70歳まで15年間)まで二足の草鞋わらじいて仕事をしました。令和2年新型コロナウイルスが蔓延まんえんして大変な時期でしたが、老病死はどこか遠くのことのように捉えがちだった私にとって、死を身近に見つめ直す機会ともなりました。

佐藤第二病院院長

田畑正久

たばた・まさひさ

昭和24年大分県生まれ。九州大学卒業後、九州大学医学部附属病院、国立中津病院、東国東地域広域国保総合病院(現・国東市民病院)を経て、現在佐藤第二病院(大分県宇佐市)院長。龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授なども歴任。日本外科学会専門医、指導医を歴任。30年ほど前から大分県内を中心に「歎異抄に聞く会」を開催。著書に『医者が仏教に出遇ったら』『医療文化と仏教文化』(共に本願寺出版社)など。