2016年6月号
特集
関を越える
対談2
  • 日本料理・未在店主石原仁司
  • 虎屋 壺中庵店主岩本光治

日本料理の
道を極める

若き日、日本を代表する料亭・吉兆でともに腕を磨き合った石原仁司氏と岩本光治氏。創業者・湯木貞一氏の薫陶を受け、独立後は京都と徳島でそれぞれ、全国でも名の知られた日本料理の店を育て上げてきた。お二人はこれまでどのような関を超え、料理人としていかなる心構えで日々仕事に打ち込んでいるのだろうか。その精進そのものの人生観、仕事観を伺った。

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全国から人が集まる人気の日本料理店

岩本 石原さんが出られたNHKのテレビ番組を見ましたよ。大きな反響があったと聞いていますが、未在はただでさえ半年以上の予約待ちの三つ星店なのに、それ以上、予約が増えて大変だったのではありませんか。

石原 これもありがたい悲鳴でしてね。反響があるのは嬉しいことではありますが、特に常連さんからは「また予約が取れないな」と苦言を呈されました(笑)。それはそれで一つの悩みです。岩本さんの虎屋 壺中庵もいま、多くの人たちが飛行機で来るほどの人気店じゃないですか。

岩本 石原さんほどじゃありませんが、おかげさまでネットなどの口コミで評判になって、全国のいろいろなところから来てくださいます。徳島の片田舎まで足を運んでくださるなんて、ご苦労さんなことですけどね(笑)。
きょうは𠮷兆時代の先輩である石原さんと久々にお会いできましたが、京都の嵐山𠮷兆で一緒に修業した頃が懐かしいですね。かれこれ50年近く前です。

石原 そうか、そんな前になりますか。僕は昭和43年に𠮷兆の本店に入り、思うところがあって3年後に嵐山𠮷兆に来たのですが、ちょうどその年に入社したのが岩本さんでした。

岩本 ええ。あの頃の𠮷兆はまだ料理人の定着率が悪くて、少ない人数でよく頑張りましたね。せっかく入社できたのに、辛いとか厳しいとか言って2、3年で辞めていく人が大半でした。

石原 自分から脱落していく人が多かったですね。一人前の料理人になろうと思ったら、最初は先輩の教えを忠実に守って、いかに着実にやっていけるかが問われます。当たり前のことを当たり前にやりさえすれば何も問題はないんです。それができないから厳しくされる。
だけど、本当は修業中の厳しさというのはまだまだ入り口であって、自分たちが思うようにならないのはそこからです。修業を終えれば、思うようになることのほうが不思議なんですよ。

岩本 僕は修業が厳しいと思ったことは一回もなかったなぁ。鈍かったのでしょうね。全く知らない土地に田舎から一人で出てきたのもよかったと思います。一緒に入ってきた神戸の子は、言われたことをそつなくこなすんだけれども、その代わり見切りも早かった。

石原 器用な人は、えてしてそうなりがちです。

岩本 いま思うと𠮷兆の仕事は、板前の技術を競うようなものではなく、手間隙を掛けて誰にでも出せる味を丁寧につくっていく、というものなんですね。木の芽を小さくむしったりという細やかな仕事を、邪魔くさいと思わずに突き詰めてやっていけるかどうか。もちろん、料理には手間隙をかけていいものと悪いものがありますから、そのあたりの見極めも大事になってくるわけですが。

石原 そういう本質的な物の見方を𠮷兆で教えられたのは、やはり財産でしたね。

日本料理・未在店主

石原仁司

いしはら・ひとし

昭和27年島根県生まれ。43年大阪高麗橋𠮷兆本店に入店、故湯木貞一氏に師事。京都龍安寺大珠院住職・故盛永宗興老師と出会い、師事を仰ぐ。京都𠮷兆料理長を経て平成4年総料理長に就任。16年京都東山の円山公園に未在を開く。

気配りの人湯木貞一氏

石原 僕が𠮷兆に入社したのは島根県の中学を出た15歳の時でした。その頃、大ご主人(𠮷兆創業者・湯木貞一氏)は60歳くらいでしたが、あまりに自分とはかけ離れていて、最初はその偉大さが分かりませんでした。それが、自分が成長するにつれて少しずつ分かってきましたね。ああ、これはすごい人や、と。
料理学校ではありませんから、手取り足取り指導してもらうことはありませんが、大ご主人が先輩の料理人に指示を出されたり、皆の前でいろいろなお話をされる中から自分が何を掴み取るかが重要なんです。
いまでも覚えているのは入社3年目に大ご主人から初めて漬け物の大切さを教わったことです。料理を食べた後の最後の香の物まで、いかにお客様に美味しく召し上がって満足していただくか。最後の最後まで決して手を抜いてはいけないという教えは、やはり心に沁みました。これはいまでも私の指針です。

岩本 石原さんもご存じのように、大ご主人は月に1回くらい各支店を回って一泊されていました。当番が風呂で背中を流すんですが、僕が当番の時、洗うのに使った道具をすぐに片づけてしまって、「まだ使うものをすぐに片づけたらアカンやないか」とお叱りを受けたことがあります。後で嵐山の大将に「あの子、ほんまに大丈夫か」とおっしゃっていたそうですけど(笑)。

石原 大ご主人はあまりたくさんは喋られない方でしたね。だけど、ものすごい気配りの人でした。昔ながらのお座敷の場でも、我われと一緒に食事をしている時でも、よく見ると気を配っておられるのが分かるんですよ。しかも、その振る舞いが気を配っていることすら分からないくらい自然なんです。岩本 機を見るに敏と言いますが、そういう呼吸が分かっておられたんでしょうね。だからこそ、小林一三、松永安左ヱ門など財界の錚々たる重鎮たちとの人脈を築き上げて、𠮷兆を日本一の料亭にしていかれた。やはりただの料理人ではありません。

虎屋 壺中庵店主

岩本光治

いわもと・みつはる

昭和28年徳島県生まれ。高校卒業後、46年𠮷兆に入社し、故湯木貞一氏に師事する。嵐山𠮷兆で5年間の修業の後、家業を嗣ぎ60年虎屋 壺中庵を開く。