近江聖人と称えられる江戸期の儒者・中江藤樹。その残した言葉には、私たちが日常生活を送る上で大切な心得も多い。同じ滋賀県に生まれ、僧侶になって以降も藤樹の教えを指針としてきた信州善光寺本坊大勧進貫主・栢木寛照師に、仏教者から見た藤樹の教えを紐解いていただいた。【肖像=公益財団法人藤樹書院所蔵】
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中江藤樹
なかえ・とうじゅ
1608(慶長13)〜1648(慶安元)年。近江国高島郡小川村に生まれる。9歳の時、米子城主の家臣であった祖父の養子となり、主家の転封に伴い米子、そして伊予大洲へと移り住む。27歳の時、脱藩し小川村へ帰る。31歳で居宅に藤樹書院を開き、武士や近郷の人々に学問を講じる。身分を問わず教化し、のちに近江聖人と呼ばれた。主著に『翁問答』『鑑草』。 【肖像=公益財団法人藤樹書院所蔵】
信州善光寺本坊大歓進貫主
栢木寛照
かやき・かんしょう
昭和21年滋賀県生まれ。一般企業を経て43年比叡山にて出家。平成27年善光寺大勧進副住職、令和4年瀧口宥誠前貫主の死去に伴い貫主に就任。比叡山麓三宝莚住職、比叡山延暦寺一山慈光院住職を兼ねる。公益社団法人三宝莚国際交流協会理事長、北マリアナ連邦名誉市民。テレビ・ラジオを通しての説法は広く知られる。著書に『親が育てば子も育つ』(徳間文庫)など。