「やるならば、創建当時の工人の心になってやりなさい」。〝薬師寺の鬼〟と畏れられた西岡常一棟梁が若き日の石井浩司氏に伝えた言葉である。薬師寺の伽藍や回廊の修復に携わって35年間、石井氏は師の言葉を胸に宮大工の仕事に打ちこんできた。東塔の大規模修理が終わったいま、氏はこの言葉をどのように受け止めているのだろうか。人生を振り返りながらお話しいただいた。
薬師寺宮大工
石井浩司
いしい・ひろし
昭和35年岡山県生まれ。14歳で大工の棟梁であった祖父に弟子入りし、29歳まで岡山県倉敷市で働く。平成2年薬師寺の復興を担当していた池田建設薬師寺出張所に入所。西岡常一棟梁の元で、宮大工の修業を始め、大講堂・回廊などの復興に従事する。17年に池田建設を退職し、薬師寺奉職の宮大工として、国宝東塔の解体修理に携わる。