2021年12月号
特集
死中活あり
対談
  • (左)JFEホールディングス名誉顧問數土文夫
  • (右)グロービス経営大学院院長堀 義人

『代表的日本人』
に学ぶ人間学

日本が近代化への道を歩み始めて間もない1908年、日本人の本質を伝えるべく1冊の英文の書籍が世界に向けて発行された。キリスト者・内村鑑三による『代表的日本人』である。同書で紹介された西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人は共に死中にあって活路をひらいた偉人といってよい。同書を愛読し、経営や人生の指針としてきたJFEホールディングス名誉顧問の數土文夫氏、グロービス経営大学院院長の堀 義人氏に5人の生き方や、いまを生きる私たちへのメッセージなどを語り合っていただいた。

この記事は約26分でお読みいただけます

内村鑑三が仕掛けディベート

 尊敬する數土すどさんからお声掛けいただき、今回の対談は二つ返事でお引き受けしました。対談のテーマである内村鑑三かんぞうの『代表的日本人』は私が何百回と読んできた愛読書であり、この本を愛読されている數土さんと語り合えるのはとても楽しみでした。

數土 そう言っていただけると、僕もありがたいですね。堀さんと知り合ったのは、あなたがグロービスを立ち上げられた頃でした。あれは何年くらい前でしたか。

 2021年で設立29年ですから、ちょうどその頃だと思います。小さなアパートで始めたビジネススクールですが、いまでは日本で圧倒的なナンバーワンの大学院に成長することができました。ありがたいことに開学時78人だった入学者は2021年は1,126人に達しています。
數土さんにはこの間、何かと応援いただきまして……。

數土 それはやはり堀さんが地道に努力を続けられた賜物たまものですよ。僕は経営の手腕もさることながら、堀さんには日本経済界の指導の一翼いちよくを担っていただきたいと早い時期から思ってきました。経団連や経済同友会のようなところでもっと活躍していただきたいというのが本音なんです。
というのも、これは特集テーマ「死中活あり」とも関連することですが、いまの日本には真のリーダーが必要だからです。かつて一流国と呼ばれていた日本が、いまや国際競争力においても、政治、科学、文化などにおいても二流国どころか三流国に成り下がっているでしょう。日本人の多くが気概、エネルギーを失ってしまっていて、幸福度ランキングも世界で60位以下。しかも、だからといってそれが何の行動にも結びついていない。この精神性は堕落だらくの部類に入ってしまっているといってもいいと僕は思います。
このように日本と日本人は「死中」にあるわけですが、そのことを一体どれだけの日本人が認識しているだろうかという思いも一方ではあるんです。

 私はどんなに厳しい環境でも活路はあると思っているんです。それも死中にあるほど、激動の時代であればあるほどチャンスを生み出す機会が増えるのではないかと。
国の分断が顕著なアメリカやヨーロッパと比べても、日本は社会全体が健全で自由闊達かったつにイノベーションを発揮できる土壌があります。事実、新しい企業では若い人たちを中心に様々なイノベーションが起きています。オリンピック、パラリンピックでは日本人の活躍が目立ち、観光の面からもよき日本文化に触れて感動する外国人が多い。そのような点から考えると、日本の今後は比較的明るいのではないかと見ています。

數土 僕も若い人たちの力には大いに期待したいと思っています。そして、若い人の成長を考える時、対話、議論、討論、この3つが必要だと思うんです。いずれも日本人が苦手とするところですが、これらをやることによって相手のいいところや欠点を比較、検討することができる。堀さんの大学院にはそれができる人たちがたくさん集まっておられるでしょうが、『代表的日本人』を著した内村鑑三自身がそういう環境に身を置いてきたことにも注目すべきですね。
内村が出た札幌農学校は学士の資格が与えられた全国で唯一の学校ですが、定員は15名ほどでした。ですからある種の塾といってよい。幕末から明治時代には吉田松陰しょういん松下しょうか村塾そんじゅく、緒方洪庵こうあん適塾てきじゅく、そして札幌農学校と、教師や学生が哲学を学んで対話、議論、討論を行える場があったわけです。
『代表的日本人』は1908年、キリスト教指導者の内村鑑三が日本の素晴らしさを世界に伝えるために、西郷隆盛(明治維新の立役者)、上杉鷹山ようざん米沢よねざわ藩主)、二宮尊徳(農政家)、中江藤樹とうじゅ(儒学者)、日蓮にちれん上人しょうにん(仏教者)の5人の「代表的日本人」の人生や功績について英語で書いたものです。『聖書』の言葉や西洋の人物などの例を挙げながら日本人の本質を分かりやすく外国人に伝えた。あえて母国語を使うことをせず、西洋人にディベートを仕掛けたと言ってもよいでしょう。

JFEホールディングス名誉顧問

數土文夫

すど・ふみお

昭和16年富山県生まれ。39年北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。常務、副社長などを経て、平成13年社長に就任。15年経営統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。17年JFEホールディングス社長に就任。22年相談役。経済同友会副代表幹事や日本放送協会経営委員会委員長、東京電力会長などを歴任し、令和元年5月旭日大綬章受章、同年6月より現職。

日本人の気概、精神性が伝わってくる

 私が『代表的日本人』を読んで感動したのも、まさにそこのところでしたね。30代の頃、あるセミナーで初めてこの本を知ったのですが、読み終えた時の衝撃と清々すがすがしい気持ちはいまもよく覚えています。取り上げられている5人の生き方はもちろん、1908年に英語でそのことを誇り高く世界に向けて発信した内村鑑三という人物そのものに感銘を受けたんです。
結果的にこの本は日本語、デンマーク語、ドイツ語に翻訳され、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディなど多くの人たちに影響を与えました。
數土 内村鑑三がこの本を書いた動機は外国人に対する挑戦であると同時に、もう一つ彼自身が5人を研究し学ぶことによって、人間かくありたしという人物像をつくりあげることにあったともいえると思います。僕は大学2年生でこの本に最初に触れた時、『代表的日本人』という書名なのに、聖徳太子や織田信長などの名前が出てこないことに疑問を感じていました。しかし、内村鑑三がキリスト者であることを考えると、ああ、彼は5人に自分の理想を投影して、その理想をますます強固にしていったのではないかと。

 私もそう思います。5人には、誰かのために身をささげるという利他りたの精神が共通しています。

數土 内村鑑三の外国人に対するディベート、挑戦と申し上げたのは、この本が当時の時代背景と無関係ではないからです。19世紀、欧米列強によるアジアの植民地化が進む中、日本は独立を維持できたとはいうものの、この段階ではまだまだ新興国です。日本人というだけであしらわれ、悔しい思いをするような時代でした。

 ええ。草の根的なコミュニケーションもとれない時代でしたので、日本人に対するあからさまな偏見、差別がまかり通っていたはずです。内村鑑三はこのままじゃいけないという強い危機感に駆られてこの本を書いたのでしょうし、実際、この本からは明治維新後の日本人の気概、精神性、歴史認識といったものがそのまま伝わってきて、私自身とても衝撃を受け、啓発されました。
例えば、西郷隆盛の章では、西郷に影響を与えた人物として島津斉彬なりあきらと並んで水戸学の藤田東湖とうこの名が挙げられているんです。藤田東湖の内ではぐくまれた水戸学の革命精神が西郷に伝播でんぱして、明治維新につながっていったというくだりがある。現代では歴史をこのように読み解く人は少ないのですが、内村鑑三の生きた時代はそういう捉え方をしていたのだと思います。水戸出身の私はこれを読んでとても嬉しかったですね(笑)。

數土 西郷隆盛は江戸藩邸に勤め始めたばかりの頃、日本精神についてそこまで確固たる信念は持っていなかったのではないかと思います。それを目覚めさせたのが勤王の志士に師と仰がれた藤田東湖でした。藤田東湖と西郷隆盛が出会っていなかったら、明治維新はなかったかもしれません。
このようなすさまじいまでの明治人の精神エネルギーを現代人がどうやったら持てるのか。これもこの本が投げ掛ける一つの大きなテーマだと思います。

 私がこの本を通して影響を受けたことの一つが陽明学についての話でした。西郷隆盛や中江藤樹は実践を重んじる陽明学を精神的支柱としているわけですが、私もこの本に強く感化されて、陽明学と名のつく本は手当たり次第に読んできました。

數土 内村鑑三も陽明学をとてもよく学んでいますね。陽明学に限らず中国の儒教全般、古代ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲学にも大変造詣ぞうけいが深い。

 実は私たちのビジネススクールでも陽明学を大変重んじていて、『代表的日本人』を必須ひっすの書物としているんです。私には水戸学と陽明学が一つとなって明治維新は成し遂げられたという歴史観があり、西郷や吉田松陰がそうだったように、リーダーが陽明学的思想を呈した時、どんな試練でも乗り越えられると確信しています。
問題は『代表的日本人』を誰がどのように学生たちに教えるかなのですが、私たちの場合、学生がまずこの本を読んでどこがよかったのか、自分はどのように生きていくのかをレポートにまとめ、講師の指導の下、それを読書会形式で議論しながら深めていくやり方をしています。その講座を通してこころざしを持ったビジネスリーダーを一人でも多く育成したいと思っているんです。

グロービス経営大学院院長

堀 義人

ほり・よしと

昭和37年生まれ、茨城県出身。61年京都大学工学部卒業後、住友商事入社。平成3年ハーバード大学経営大学院修士課程修了。4年グロービス設立。8年グロービス・キャピタル(現グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立。18年グロービス経営大学院設立、学長に就任。G1/KIBOW代表理事、水戸ど真ん中再生プロジェクト座長、茨城ロボッツ/茨城放送の取締役オーナー。著書に『日本を動かす「100の行動」』(PHP研究所)『吾人の任務』(東洋経済新報社)など。