2018年3月号
特集
てん ざいしょうずる
かならようあり
対談
  • ドトールコーヒー名誉会長鳥羽博道
  • タビオ会長越智直正

この一道に生きる

ともに20代の若さで徒手空拳から会社を創業し、1代で日本を代表する企業へと育て上げてきた2人の経営者がいる。鳥羽博道氏、80歳。越智直正氏、78歳。30年もの長きにわたって互いに切磋琢磨し、情熱と使命感を武器にあらゆる試練を越えてきた盟友同士が初めて語り合う「我が人生と経営」——。

この記事は約28分でお読みいただけます

〝夢を語る少女〟と〝靴下の気狂い〟

鳥羽 越智おちさん、久しぶりですね。

越智 ほんまに。もう何年ぶりでしょうね。しかし、鳥羽とりばさんもますますお元気そうで何よりや。

鳥羽 いやいや、元気そうな格好してるだけです(笑)。越智さんはおいくつになったんですか?

越智 僕は78歳になりました。確か鳥羽さんは……。

鳥羽 僕はね、ちょうど80歳になったんですよ。それにしても何十年前なんだろう、我われ経営者仲間で会ってたのは。もう30年くらい前になりますかね?

越智 そうですな。異人種交流会って言いよったね。

鳥羽 そう。変わった人間ばっかりっていう意味でね。

越智 全員が自分はまともやと思うてたけど(笑)。

鳥羽 イエローハットの鍵山さんやハウス オブ ローゼの川原さんなど、10人くらいで毎月1回集まってた。その頃はまだみんな上場してなかったんですが、後に6~7人が上場しましたね。

越智 みんな若かったし、夢に燃えてバリバリやりよったもん。

鳥羽 あの頃はエネルギーがあったんですね。

越智 いまでもありますやろ(笑)。やっぱり鳥羽さんは昔から熱量が違う。僕よりも熱量が強かった。それはもう勝てんと思っとったよ。鳥羽さんの話に感動して涙を流したことが何回もある。せやけどね、僕は鳥羽さんのことを少女のような人だと思ったの。
商売の話になると、「1杯のコーヒーでお客様にやすらぎと活力を提供するんだ」ってね、夢を語りながら自分の言葉に酔うとるわけ。ハワイに農園をうた時も……。

鳥羽 楽園をつくるんだ、天国をつくるんだってね。ブーゲンビリアのトンネルをつくって、そこを男女2人で歩けるくらいの大きさにして、トンネルを抜けたら噴水ふんすいがあって、ハワイの海がザーッと見えるんだという夢を話した。

越智 それを感情込めて言うもんやから、まるで少女みたい。

鳥羽 確かに息子にも「うちの親父は乙女おとめだ」って言われます(笑)。

越智 鳥羽さんがすごいのはその夢を現実にした。

鳥羽 そうですね。常に「夢を見、夢を追い、夢をかなえる」っていうことで、とにかく誰彼だれかれ構わず自分の夢を語る。「俺はこうやるんだ」って。そういう言葉は夢を引き寄せるんじゃないかなと思います。
越智さんも当時から靴下くつしたへの情熱は並大抵じゃなかったですよ。いつも越智さんに会うと、もう全生命を靴下一筋に懸けてる、靴下の気狂きちがいって感じでした。

越智 事実、そうやったね。仕事以外に趣味も何もあらへん。

鳥羽 それと、越智さんをずっと尊敬しているのは、漢文をよく勉強している。で、いろんな言葉の節々に漢文が出てくるんですね。それを聞く度に、この人にはかなわないなって気持ちがありました。
ですから、対談の依頼を受けた時も、越智さんには会いたいけど、越智さんの知識にはとても負けるので嫌だなと正直思ったんです。

ドトールコーヒー名誉会長

鳥羽博道

とりば・ひろみち

昭和12年埼玉県生まれ。29年深谷商業高等学校中退。東京の飲食店勤務、喫茶店店長を経験し、33年ブラジルへ単身渡航。コーヒー農園で3年間働いた後、帰国。37年ドトールコーヒー設立。平成17年会長に就任。18年より現職。著書に『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』(日経ビジネス人文庫)など。

創業半世紀を振り返っていま心に抱く思い

鳥羽 越智さんの会社は創業してどれくらいになりますか?

越智 ちょうど今年(2018)で50年を迎えました。この間、50年誌を書いてて思ったのは、わしの人生は神様の計画やったんかなと。大いなる者の計画に引っ張られてきたような気がしてなりまへんのや。

鳥羽 僕もね、やっぱり神様がついてるんじゃないかと思うことが時々ありますね。自分の意に反して物事がうまくいっちゃう。あれ、これは神様の仕業しわざかなと。

越智 たぶん鳥羽さんも運がよかったって言うと思うの。それは説明できんからでしょう。僕もそう。いろんな苦労や失敗もあったけど、全部乗り越えられたっていうのは神様の計画だからじゃないかな。

鳥羽 何だか同じようなことを考えてる(笑)。
僕が24歳でドトールコーヒーを創業した時はお金も後ろ盾もありませんでしたが、昨年(2017)55周年を迎え、売上高は1,200億円で業界2位、国内の総店舗数は1,346店で業界トップに立っています。なんで自分がここまでやってこられたんだろうかって振り返ってみると、我欲がなかったからだと思うんですね。

越智 ああ、我欲がなかった。

鳥羽 会社を立ち上げる前から、給料をもっと余分にもらいたいと思ったことは一度もないですし、もちろん地位を求めたことも一切ありません。目の前の仕事を真剣にやっていると、自然に物事がうまく展開していく。
地元の高校を3か月で中退し、着の身着のまま上京しましてね。17歳の時にある飲食店に勤めていたんですけど、半年しか働かなかったにもかかわらず、20歳の時にその飲食店の社長から手紙が来て、「ブラジルへ来い」と誘われまして、海を渡ったわけです。
移民船で42日間かけてブラジルに行き、コーヒー農園で3年間働きました。そうしたら、今度はブラジルに渡る直前に勤めていた日本のコーヒーおろし会社の社長から電話がかかってきて、「船賃全部出すから帰ってきてくれ」と。
そういう形で、一つひとつの出来事を振り返ると、我欲がなく、見返りを求めず、真剣に無心に没頭してやってきたことが自分を運んでくれたように感じます。

越智 まったく同感です。僕は中国古典の影響から、ただひたすら追い求めたのは正義と理想でしたわ。

鳥羽 正義と理想。

越智 この2つがキーワードやったね。僕が創業した50年前は、靴下問屋だけで690もありましたんや。それがぼんぼんつぶれてしもうて、いまじゃ数えるほどしかない。

鳥羽 中国に押されてね。

越智 そうそう。中国に押される前から量販店にやられてしもうた。斜陽しゃよう産業といわれて久しい繊維せんい業界の中でも特に靴下業界は淘汰とうたひどいんです。安かったらええということで、商品の質がどんどん落ちていったんですけど、そんなことは許さない、わしは商売人の前に男でないといかんと。
中国産の安い製品が市場を席巻せっけんしていくのに対して、メイド・イン・ジャパンに徹底的にこだわり、お客様の足に優しくフィットし、かつ簡単に破れない強さがあるきやすい靴下を追求し続けてきましたな。お客様がうちの靴下を履いた時に喜んでくれる、これええなって笑顔になることを夢見てつくりましたんや。そういう僕の正義と理想にみんなついてきとるんやと思うな。
それと、卸売りだった当社が34年前から小売りを始めたのは、大きな専門店がこぞって量販店と同じような販売形態に転換してしもうたから。それでうちは靴下のため、伝統を残すために、「靴下屋」をはじめとする靴下専門店をやり出したんですわ。

鳥羽 いま何店舗あるんですか?

越智 国内に276店舗、海外に7店舗ありますね。

鳥羽 幅広く商品を扱っているならまだしも、靴下一筋で店を成り立たせて、しかもGINZA SIXや六本木ヒルズをはじめ、一流どころに出店できるっていうのはすごいことですよ。

越智 もう靴下ばっかり追いかけているようなバカはおらんようになったわ。みんな頭がええもんやから、いろんな事業を手掛けてね。

鳥羽 まさに正義と理想に燃えてこられたわけですね。

タビオ会長

越智直正

おち・なおまさ

昭和14年愛媛県生まれ。中学卒業と同時に大阪の靴下問屋に丁稚奉公。43年独立、靴下卸売会社ダン(現・タビオ)を創業。丁稚時代から読み始めた中国古典の教えをもとに、モラルある商売の道を追求。靴下業界屈指の企業を築く。平成20年より現職。著書に『男児志を立つ』『仕事に生かす「孫子」』(ともに致知出版社)など。