35歳の若さでJリーグ・FC岐阜の社長に就任すると同時に筋萎縮性側索硬化症という難病を発症した恩田聖敬氏。10万人に1人といわれる難病・脊髄性筋萎縮症を持って生まれてきた佐藤仙務氏。ともに重度障碍者の身でありながら、数々の絶望を乗り越えて、自ら会社を立ち上げ、道を切り拓いてきた。二人が語り合う、絶望の乗り越え方、そして絶望の先に見えてきた使命——。
まんまる笑店社長
恩田聖敬
おんだ・さとし
昭和53年岐阜県生まれ。京都大学大学院航空宇宙工学修了。Jリーグ・FC岐阜の社長に史上最年少の35歳で就任。就任と同時期にALS(筋萎縮性側索硬化症)発症。平成27年末、病状の進行により職務遂行困難となり、社長を辞任。翌年、クラウドファンディングで資金を募り、株式会社まんまる笑店を設立。以後、全国で講演や執筆等を行う。佐藤氏との共著に『絶望への処方箋』(左右社)がある。
仙拓社長
佐藤仙務
さとう・ひさむ
平成3年愛知県生まれ。4年SMA(脊髄性筋萎縮症)と診断される。22年愛知県立港特別支援学校商業科卒業。当時障碍者の就職が困難であることに挫折を感じ、ほぼ寝たきりでありながら、23年ホームページや名刺の制作を請け負う合同会社「仙拓」を立ち上げ、社長に就任。著書に『寝たきりだけど社長やってます』(彩図社)、恩田氏との共著に『絶望への処方箋』(左右社)がある。