2024年7月号
特集
師資相承
インタビュー4
  • 龍門寺長老河野太通

師資相承の要諦は
直心にあり

94歳になるいまなお、毎日現役で坐禅を組み、後進の指導や禅の普及にも力を尽くしている龍門寺長老の河野太通老師。18歳で出家して以来、禅の一道をひたすら歩んできた河野老師に、人生を導いた師の教え、禅における師資相承の要諦、そしていま伝えたい禅の言葉をお話しいただいた。

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取材は河野太通老師が長老を務めるりょうもん(兵庫県姫路市)にて行われた。龍門寺は、江戸前期の名僧・ばんけいようたくこくの根本道場として寛文元(1661)年に創建された臨済宗妙心寺派の禅刹ぜんさつである。

仏道を学び仏道を忘れる

──河野老師は禅の道一筋に歩み、今年(2024年)御年94になられたそうですね。いま、どのような心境で仏道に向き合っておられますか。

きょうは東京からですか? それはご苦労さんです。
まあ、94になったからといって、何も特別なことはないんです。ことさら仏道を意識して生活しているわけじゃないんでね……。毎日お寺におるというだけで、それが客観的に仏道になっているかどうかは見る方の話。私自身は仏道とも人生とも思わず生活していますわ(笑)。
だから、年齢を重ねていくごとに仏道を忘れていっているんです。それこそ仏道の極意は無心ですから、むしろ忘れていくということでいいんじゃないでしょうかな。

──ああ、仏道が日々の生活、人生そのものになっている。健康長寿のために何か心掛けていることはございますか。

思い当たるのは、やはりぜんの呼吸法ですよ。いまも365日のうち、少なくとも300日は、毎朝皆と一緒に本堂で小1時間坐禅をやって、いろいろ質問にも答えております。
禅の呼吸というのは深く吐いて深く吸う、腹式呼吸でやりますけれども、これがまあ、全身に酸素が行き渡るような呼吸法になっているんです。
ただ、これも自分が健康になりたい、長生きしたいからという意識でやっとるわけじゃない。禅門の習いで毎朝皆と一緒に坐る、その習慣がおのずと健康法になっておるというだけでしょうな。その点では、何事もよき習慣をつくるということが大事だと思います。

──よき習慣が健康とよき人生を創ると。しかし94歳のいまもなお毎朝参禅し、後進に向き合っておられるのには驚きました。

特に最近は、坐禅をして吸っては吐く、吸っては吐くを繰り返しておりますと、生死を分ける踏切と言いますか、生死の区別がどこにあるのか、分からなくなるんですよ。
吸っては吐くの繰り返しが生であるならば、吐いた息を吸うまでにほんの1秒か半秒止まる、それが死だとも言えるでしょう。
であれば、私は毎朝坐禅をしながら時々刻々と生と死を繰り返しておる、死ぬ練習をしておるということになる。だから、人間の死というものも、吐いてまた吸うまでの時間がちょっと長くなるだけの話で、何も恐れることはないし、苦しむこともない。いずれまた吸う時がくればこの世に生き返ってくる、そういうもんだと思っております。
しょうろうびょう」は誰しも避けることはできませんが、人の思惑でどうにもならないことです。それを無理にどうにかしよう、避けようと思うから悩み苦しみになるのであって、喜びも苦しみもすべてひっくるめて、体も心も必ず終わりが来る。日々の充実と安らぎというものは、これらを受け入れて生きていくことで得られるのではないでしょうかな。

龍門寺長老

河野太通

こうの・たいつう

昭和5年大阪生まれ。23年大分県中津市の松巌寺で出家。花園大学卒業後、兵庫県の祥福寺僧堂に入り、山田無文老師に師事。平成6年から13年まで花園大学学長を務める。22年第33代臨済宗妙心寺派管長、全日本仏教会会長に就任。現在は兵庫県姫路市の龍門寺長老として、弟子の育成と共に一般の人々を対象に修行の場を広く提供、禅の普及に力を尽くしている。『ありがとう すみません お元気で』(あさ出版)など著書多数。