2024年7月号
特集
師資相承
一人称
  • 指揮者秋山和慶

齋藤秀雄と小澤征爾

2人の遺したもの

日本音楽界の巨星・小澤征爾氏が令和6年2月、世を去った。西洋音楽の伝統のない日本から、万国で愛される偉才はいかに誕生したのか。小澤氏が生涯の師と仰いだ桐朋学園オーケストラの産みの親、齋藤秀雄氏の存在はいかなるものだったのか。両氏と70年来の交流を持つ国際的指揮者・秋山和慶氏の談に、魂の相伝が感じられる。

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思い出す兄弟子の笑顔

小澤せいさんが亡くなった。

所属する音楽事務所の社長から、じかにその知らせを聞いたのは2月7日のことでした。ああ、とうとう、とうとうこの時が来てしまったんだ。10数年前から長く闘病され、面会すら難しくなった頃から、覚悟はしていたつもりでした。それでもあまりのショックで、頭が追いつきませんでした。

小澤さんと私の関係は、ひと言で言えば「つかず離れず」。初めて会った時、私は14歳で小澤さんは20歳くらいでした。同じ恩師の下で学び、お互い世界へ羽ばたいてからも、折に触れて一緒に指揮をし、弟弟子としてずっと可愛かわいがってもらいました。

小澤さんは1959年、23歳で単身渡仏して以降、指揮者として日本人初の快挙を次々と成し遂げていかれました。例えば38歳の時、米国五大オーケストラの一つである名門・ボストン交響楽団の音楽監督に就任し、約30年務め上げられました。これは米国でも異例のことです。日本国内はもちろん、海外での人気はすさまじいものがありました。

人懐っこい笑顔と、皆に好かれる人柄。それでいて、非常に強い信念と自信、自分の中に確固たる〝方角〟を持っている。それが私の心に残る小澤さんの姿です。

渡欧後、カラヤンやバーンスタインといった世界の名匠に師事した小澤さんですが、若き日から生涯にわたり師と仰いだ日本人がいました。それこそが共通の恩師、指揮者・齋藤秀雄先生です。

齋藤先生なくしていまの僕はないよ——小澤さんはよく言っていました。日本の音楽界に偉大な功績を残した師と兄弟子は、音楽に何を込めてったのか。お二人に接した時間を思い起こしてみます。

指揮者

秋山和慶

あきやま・かずよし

昭和16年東京生まれ。38年桐朋学園大学音楽学部卒業。翌年2月に東京交響楽団を指揮してデビュー、同団の音楽監督・常任指揮者を40年にわたり務める。その間、トロント響副指揮者、ヴァンクーヴァー響音楽監督(現・桂冠指揮者)等、世界の名立たる楽団に客演。令和6年に指者生活60周年を迎え、9月、東京にて記念演奏会を開催。