2024年3月号
特集
丹田常充実
一人称
  • 大日本茶道協会会長松平洋史子
徳川260年

松平家の教えに学ぶ
日本の心

徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ、先人たちが受け継いできた日本の心、文化伝統の素晴らしさを人々に伝え続けている松平洋史子さん。この変化の激しい時代において、いかに日本人らしく、美しく優しく逞しく生き抜いていけば良いのか、その生き方のヒントを、松平家の教えを紐解きながら教えていただいた。

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失われていく日本の心

いまの日本には、「自分はこう生きるのだ」「日本人ならかくあるべきだ」という人生を支える核となるもの、品格や覚悟を備えた人がだんだん少なくなっているように思えてなりません。また、先人が大切にしてきた日本の心、基本的な礼儀作法、起居動作なども時代と共に失われ、私たちが幸福に生きるための健全な人間関係・秩序が保たれなくなっているのではないかと危機感を抱いています。

水戸徳川家の流れを讃岐さぬきのくに高松藩松平家の末裔まつえいとして生まれ育った私は、日本人としての品格と礼儀作法や覚悟と誇り、それらすべてを物心つく頃から家庭教育の中で自然に教えられてきました。

松平家では、伝統的に「つ」がつく年齢(9つ)までは、子供の教育・しつけは家庭の中で責任を持って行うものだとされています。

例えば、小学生の頃にこんなことがありました。毎年、暮れの12月28日になると、女中さんが段ボール箱に私の持ち物をすべて集めて、新たな年に向けて必要なもの、必要のないものを取捨選択させるのです。その際に、私は国語の教科書を不要なものとして出してしまいました。

1月からも学校で授業が続くのですが、私だけ国語の教科書はありません。担任の先生にどうしたのか聞かれても、私は「忘れました」の一点張り。自分の判断で捨ててしまった手前、松平家の教育においては子供であっても、「間違えて捨てました。新しい教科書をください」とはどうしても言い出せなかったのです。さらに驚いたのは両親の対応でした。数日後、担任の先生が事情を聴きに来たのですが、母は「うちの子が自分で不要な本として捨てました。申し訳ありませんが、そのまま勉強させてください」と答えたのです。

結局、見かねた先生から新しい教科書が支給されたのですが、学校がどうであれ、他の子がどうであれ、我が子は我が子、我が家には我が家の教育があるという信念を崩さない母の姿に、かつての武士の覚悟を教えられる思いでした。

これは松平家が特別なのではなく、ひと昔前の日本では、子供の教育・躾は各家庭で行うのが当たり前のことでした。まず家庭で人として必要な礼儀作法をきちんと身につけた上で、学校に通って勉強し、社会に出ていくのです。

その区別がいつの間にかあいまいになり、教育は学校が行うものであって、家庭は関係がないという風潮がまんえんしてしまった。それがいまの日本の様々な問題の根源にあるような気がしてなりません。

また、日本の心はどこから生まれてくるのか考えてみると、それは両親から名前をつけていただいた時だと思うのです。人は皆、母親のお腹の中にいる約10か月の間、この子はどんな名前をつけたらいいだろう、どんな子に育つのだろうという両親の願いを受けて「おぎゃあ!」と生まれてきます。

私の名前の「洋史子よしこ」には、太平洋の「洋」と歴史の「史」を組み合わせて、世界の大海原に力強く漕ぎ出して行ってほしいとの願いが込められているのだよと、幼い頃から聞かされました。ですから、私はご先祖様、両親への敬意と感謝、そして「洋史子」という名前をいただいた自分に誇りを持って、元気にたくましく生きていくことがお役目だと受け止め、これまでの人生を歩んできたのです。家庭の教育、両親の影響というのはそれほど大きいものなのです。

大日本茶道協会会長

松平洋史子

まつだいら・よしこ

京都府生まれ。水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔。幼少期より厳しい教育・躾を受けて育つ。国立音楽大学教育学部在学中に結婚。大日本茶道協会会長、広山流華道教授、茶懐石・宋紘流師範等を務める。祖母・松平俊子がまとめた松平家に代々伝わる生き方教本『松平法式』を受け継ぎ講演会を行う。また、場所を選ばずお点前ができる茶箱「I for You・宙」を考案し、茶道に流れる日本の心を国内外に伝える活動にも力を尽くしている。著書に『松平家 心の作法』『松平家のおかたづけ』(共に講談社)『一流の男になる松平家の教え』(日本文芸社)などがある。