2024年3月号
特集
丹田常充実
一人称
  • 拓殖大学防災教育研究センター長、大学院地方政治行政研究科特任教授濱口和久
国難の時代のリーダーシップ

いま、濱口梧陵に
学ぶべきもの

時は幕末。紀伊半島を襲った巨大地震と津波から村を救い、藩や国のため多分野で獅子奮迅の働きを見せた実業家がいた。ヤマサ醤油七代目・濱口梧陵である。防災や国防に精通し、梧陵の顕彰にも尽力する濱口和久氏に、和やかな元日に突如、能登地方を襲った震災の教訓を交え、この国難の時代を生きる道標を示していただく。

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悲しみを「教訓」に留めてはならない

新年早々、日本は〝想定外〟の困難に見舞われている。とりわけ元日夕刻に発生し、最大震度7を観測した能登半島地震は石川県を中心に大きな爪痕を残した。一部地域には5.1メートルもの津波が押し寄せた。家屋の焼失・倒壊、道路の寸断、土砂災害といった被害も相次いだ。未だに停電や断水が解消されず厳しい避難生活を続けている人も多い。犠牲となった方々に心よりお悔やみを申し上げると共に、避難を余儀なくされている皆様に一日も早く平穏が訪れることを祈らずにいられない。

不幸中の幸いは、津波による犠牲者の数が東日本大震災より抑えられたことだ。あの時、押し寄せた津波の恐ろしさを多くの人が目に焼きつけたことが、図らずも教訓となって働いたのだろう。

一方で、課題は山積している。第一に、被災者が集う避難所が相変わらず劣悪な環境であること。1995年の阪神・淡路大震災の時から問題とされてきたが、トイレや食事、ベッドの用意は報道を見る限り充分とは言えず、プライバシーの確保にも難がある。

災害時には自衛隊などの救援を待たず、最低限の物資を各避難所へ振り分ける体制が整っていることが大切だ。だが、相次ぐ陸路の寸断により、片手で数えられるほどしか民家がなく、ヘリの着陸も困難な奥能登の集落への物資の運搬が滞った。地震後の住民の生活の問題、これは過去の事例に学んでいれば想定内である。危機管理が甘かった印象は否めない。

物資については民間で始まっているドローンによる輸送を本格的に実用化すべきだろう。また、災害時の避難所や医療のひっぱくの問題を解決する方法の一つとして、日本も大型病院船を導入すべきだろう。接岸せずともヘリで病人や負傷者を運び込み、食事や衛生環境を確保できる病院船は、大型なら1,000名ほど収容可能だ。能登に限らず、海に囲まれ、天災が多発する島国・日本にとって重要な装備品である。

特に気になったのは、リスクコミュニケーションの不足だ。思うに、被災自治体の長である石川県知事は発生当初から1日1回でも記者会見を開き、不安の渦中にある住民にメッセージを発すべきだった。2016年の熊本地震ではかばしま郁夫知事がそれをしていたが、今回は知事の顔がなかなか見えなかった(1月10日に「『令和6年能登半島地震』の発災から10日目を迎えて」とメッセージを発信)。

本人が難しいならしかるべき代理を立て、「私たちも一所懸命対応に当たっています。皆さん安心して、もう少し頑張ってください!」と励まし続ける。トップの必死な姿が与える力は大きいからだ。

これまで大災害が起こる度、その時だけ「教訓」という言葉が叫ばれてきたのが日本である。本号のテーマを借りれば、これを契機に「たんでんじょうじゅうじつ」の気概に目覚め、危機に備えなければならない。

拓殖大学防災教育研究センター長、大学院地方政治行政研究科特任教授

濱口和久

はまぐち・かずひさ

昭和43年熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒(37期)。防衛庁陸上自衛隊、首相秘書、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)などを経て、現職。令和5年4月より「稲むらの火の館」客員研究員第一号に就任。著書に『リスク大国 日本』(グッドブックス)『日本版 民間防衛』(江崎道朗氏らとの共著/青林堂)など多数。