2025年4月号
特集
人間における運の研究
インタビュー③
  • 将棋棋士九段先崎 学

運は
勉強する者に味方する

数多の手練れが鎬を削る将棋界。羽生善治氏をはじめ、多士済々の同世代と応酬を交わしてきた先崎 学九段は平成29年、47歳の時、突然の病に苦しめられたが、見事復帰を果たした。勝負師として名を馳せた師・米長邦雄永世棋聖の教えを交え、人生の浮き沈みに処する心得を伺う。

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厳しくも美しい将棋の世界で

──先崎九段は、いわゆる〝世代〟の一角として長く第一線で活躍されながら、アニメや映画になった人気将棋漫画『3月のライオン』の監修ほか、棋界への貢献活動にも余念がないですね。

先崎 プロ入りは17歳ですから、もう38年目になりますか。
将棋は気持ちがいい世界でしてね。棋士同士は会社で言う上司や同僚とは違う。常に盤を挟んで一対一で勝負する。こんな純度の高い世界はめっにないですよ。厳しくも美しいこの世界のよさを、自分が携わった作品や本から感じ取ってもらえたらいいと思います。

──先崎九段は、平成5年に史上最年長の49歳11か月で名人位を手にされた故・よねながくに永世棋聖の門下だと伺っています。

先崎 ええ。今回の特集「人間における運の研究」は、確か米長先生の本のタイトルでしたよね。

──はい。ご生前、本誌を厚く応援くださったお一人です。ぜひ、その出逢いからお話しください。

先崎 何せ小学4年生でしたからね、実は経緯をよく知らないんです。父が生命保険の仕事をしていた関係で、私は青森に生まれてすぐ東京、次に札幌、小学2年生の半ばに水戸に引っ越しました。
習い事も少ない時代で、転勤族だから地元の友達もいない。そういう中で、近所の将棋センターに通い出したら、大人たちが優しくしてくれたんですよね。特に将棋の勉強をした記憶はないんですが、対局中に漫画を開いて読み、相手が指したら閉じて指す。そんな調子で勝って、大人たちが悔しがる姿を見るのが楽しかった(笑)。

──そんな一地方の少年が、なぜ米長門下に導かれたのでしょう。

先崎 昭和54年、小学3年生の時、「よい子日本一決定戦」小学校低学年の部で、同い年の羽生よしはるさんを押さえて優勝しました。それからどう話が来たのか、ある日母に連れられて東京の米長先生のお宅にお邪魔したんです。
「君は将棋が好きかい?」。それが先生との初めての会話でした。
当時、将棋界は中原誠名人と先生が双璧で、お顔は知っていました。そして田舎者の私の唯一の夢は、この楽しい将棋を一生続けることでした。居間には将棋の盤や駒がたくさんあって、本棚いっぱいに将棋の本が並んでいた。先生に「よかったら、ずっとここにいてもいいんだよ」と冗談めかして言われ、「はい! いたいです」と即答しました。そうして突然、師匠の内弟子になったんです。

将棋棋士九段

先崎 学

せんざき・まなぶ

昭和45年青森県生まれ。55年小学4年生で米長邦雄永世棋聖の内弟子となる。56年奨励会入会、62年プロ入り。平成3年第40回NHK杯戦で同い年の羽生善治氏を準決勝で破り、全棋士参加棋戦初優勝。12年度第58期順位戦でA級に昇級。26年九段。29年うつ病を発症し公式戦を休場、翌年の順位戦で復帰を果たす。著書は『うつ病九段』(文藝春秋)他多数。ドラマ・映画の将棋監修も務める。