2024年7月号
特集
師資相承
インタビュー1
  • 能楽小鼓方大倉流十六世宗家、人間国宝大倉源次郎

感謝を忘れず
粛々と精進するのみ

力強い掛け声と柔らかな小鼓の音色で観客を能楽の深奥な世界に誘う能楽囃子小鼓方・大倉源次郎氏。室町時代中期から続く大倉流の宗家、人間国宝として日本の能楽界を牽引してきた氏に、試行錯誤を重ねた修業時代、人生・仕事の支えにしてきた父の教え、600年の歴史を有する能楽の〝師資相承〟について語っていただいた。

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能楽に伝わる精神を現代に甦らせ、伝承する

──源次郎さんは、能楽つづみかた大倉流の道を60年以上にわたり歩んでこられました。まず大倉流について教えていただけますか。

大倉流は室町時代中期、能楽の流派の1つであるこんぱるりゅうから分家した、シテ方大藏流のはやおおつづみとして活動した大蔵(倉)九郎を初代とする囃子方の流儀です。
能楽を大成したかんの時代から100年ほど経っていましたが、まだまだ能楽の役割分担が定まっておらず、様々な役柄に取り組んでいく中で、大鼓を専門とするようになったようです。さらに孫の世代で大鼓、小鼓に分かれ、三代目の三世大藏小仁助虎宣が小鼓を専業として現在に至ります。
私たちは古風で基本的な演奏を大切にしてきました。芸風で言うと、〝すみの松〟という教えが代々伝わっております。舞台上の鏡板かがみいたの松よりも目立たないように舞台に上がり、舞台で舞うシテ方の魅力を最大限引き立たせる演奏を心掛けなさい、ということです。

──黒子のように、舞台を引き立たせる。そのげいが認められ、源次郎さんは、2017年に60歳の若さで重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。奇しくもお父様である十五世そう・大倉長十郎さんが亡くなった年齢での認定だと伺っています。

長生きしていれば、父も認定されていたかもしれませんが、まさか自分がその年でいただくとは思いもしませんでした。父と比べて戦後の生ぬるい時代を生きてきましたからね……。
実は認定のお話をいただいた時、「私には無理です」と一度断りを入れたんです。でもいろんな方々に相談し、最終的には「父の代わりに受けさせていただくんだ」との思いで認定を頂戴しました。

──重責を担う立場としていまどのようなことに力を入れて取り組んでおられますか。

未だ穴を掘って入りたいほど力不足ではありますが、私も今年(2024年)で67歳。今回のテーマ「師資相承ししそうしょう」のように、これまで様々な方々にいただいてきた教えを後進に伝えていく年齢になりました。
ですから、世阿弥が残した「少な少なに舞台をつとめよ」(後継者に花をもたせ、一歩退いて舞台をつとめよ)との言葉にならい、後進の育成、さらには能楽の普及、脈々と伝承されてきた先人の精神を護り後世に伝えていく活動に力を入れています。
例えばお道具でいいますと、古いものを大切にしながら、代々大切に使い続けることによって、新たな価値観を生み出してきました。小鼓は寿命が数百年に及び、師匠から弟子へと伝えられていく中で打ち込まれ、まろやかで深みのある音をつくり上げていくんです。
ここにお持ちした小鼓は、祖父や父の手を介して100年以上打ち込まれてきたものです。(実際にご自身の小鼓を打ちながら)代々伝えられてきた小鼓と、私が50年近く打ち込んできたものとでは音色がまったく違うでしょう?

──ええ、同じ小鼓とは思えないほど、全く音色が違いますね。

そうした先人たち、能楽に伝わる「ヴィンテージ文化(古いものを大切に使い続けていくこと)」は、いまの現代社会においても非常に重要ですし、世界に誇るべきものだと思うんですよ。
ですから、明治維新以降に日本から持ち出され、世界各地の美術館に眠っている能楽の装束やお道具類を修復、メンテナンスの名目で掘り起こし、それを実際に演奏することで、日本人が大事にしてきた精神を世界に発信していく。今後はそういう取り組みをしていければ面白いなと思っています。

能楽小鼓方大倉流16世宗家、人間国宝

大倉源次郎

おおくら・げんじろう

昭和32年大阪府生まれ。大倉流十五世宗家大倉長十郎の次男として父に師事し、40年独鼓「鮎之段」で初舞台。60年能楽小鼓方大倉流十六世宗家を継承(同時に大鼓方大倉流宗家預かり)。公益法人能楽協会副理事長。古典、新作能、復曲能など数多くの舞台に参加。第9回大阪市咲くやこの花賞受賞、第37回観世寿夫記念法政大学能楽賞など受賞。平成29年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。FacebookやYouTube「源次郎チャンネル」などを通じ、積極的に情報発信を行う。著書に『大倉源次郎の能楽談議』(淡交社)、共著に『能の起源と秦氏』(ヒカルランド)がある。