2025年3月号
特集
功の成るは成るの日に
成るに非ず
鼎談
  • 坂東太郎会長青谷洋治
  • 力の源ホールディングス会長河原成美
  • 王将フードサービス社長渡邊直人

我らかく
経営せり

企業繁栄への道

消費の低迷をものともせず、個性溢れる経営で躍進を続ける外食の雄がいる。
和食レストランのばんどう太郎をはじめ様々な業態の店を展開し、北関東に盤石の礎を築いた青谷洋治氏。
豚骨ラーメンの一風堂で世界進出、株式上場を成し遂げた風雲児・河原成美氏。
そして不慮の死を遂げた前任社長の志を継ぎ、餃子の王将で年商1千億円を実現した渡邊直人氏。
彼らはいかなる道を経て功を成してきたのか。互いを認め合う三人が語り尽くす経営への思い──。

この記事は約28分でお読みいただけます

大変化の時代に求められる強いリーダーシップ

河原 きょうは新年早々にこういう機会をいただいて、大変嬉しく思います。青谷さんと渡邊さんからいろんなことを吸収するぞと思ってやってまいりました。

青谷 私もお二人とお話しするのを楽しみにしていました。少し緊張もしていますけれども(笑)。

渡邊 私は毎年致知出版社の新春特別講演会に通わせていただいているんですが、そこでいつも講演を拝聴している藤尾社長から、こういうていだんの機会をいただけるとは考えてもみませんでした。思いはかなうんですね。

河原 それにしても「餃子の王将」はすごいですね。どこのお店も大行列ですよ。

渡邊 ありがたいことです。特に昔からずっと王将を支え続けてくださった50代、60代のお客様は、大切にしなければあかんと思っています。

河原 今年で何年になりますか。

渡邊 創業58年目になります。私が社長になって11年経ち、この頃では後継者をどうするんやと言われます。属人的な経営もよし悪しですが、こんな時代だからこそ強いリーダーシップを持った人間がやらなければと思うんです。話し合いや多数決ばかり繰り返しても経営なんかできませんからね。

河原 世の中はどんどん変わっていますしね。僕もいろいろ試してみましたけど、やっぱり人の意見を聞いてばかりではダメですね。うちでは3人くらいで主な意思決定をしています。

青谷 おそらく今年は、100年に一遍くらいの大きな変化が起こると私は思っています。アメリカでは、一度政権を退いた大統領が4年ぶりに返り咲きましたね。日本の安倍さんが二度目の政権で国を大きく変えたように、再び政権の座に就いた大統領が世界を大きく動かすと思います。しかもあの方は元ビジネスマンですから、今年はビジネスの潮目も大きく変わると私は見ているんです。

河原 おかげさまで当社は今年創業46年、ラーメン専門店の「一風堂いっぷうどう」を始めてからちょうど40年の節目を迎えます。それをコロナが落ち着いて世界中に新たな門が開き始めたタイミングで迎えることができたところに深い意味を感じています。
コロナ禍の時は非常に苦しい思いをしましたが、随分勉強にもなりました。40年やってきて、それなりに基礎は固めてきた。ただ、その基礎がおろそかになってしまっている部分もある。反省しきりです。でも神様は偉い。ここで我われに40周年を与えてくれた。次の50周年まであと10年ある。10年あればどんなふうにも変われるぞと。

坂東太郎会長

青谷洋治

あおや・ようじ

昭和26年茨城県生まれ。42年中学卒業後、家業の農家を継ぐ。46年農業から飲食業に転身して3年半の修業を積み、50年茨城県境町に一号店を開店。61年㈱坂東太郎設立、社長に就任。平成28年より現職。著書に『代々初代』(致知出版社)。

常に新しく、新しく挑戦を続けていく

渡邊 河原さんはラーメンという事業で上場を果たされたり、海外へ進出なさったり、これまでもいくつも革命を起こしてこられましたね。

河原 ありがたいことに、Yelイェルという世界32か国で展開されている口コミサイトのランキングでは、全米のレストランで1位になったこともあります。ラーメンだけでなく、すべてのレストランの中での1位ですから嬉しかったですね。

渡邊 いまどのくらいお店があるのですか。

河原 15か国・地域で293店舗を運営しています。
去年(2024年)の11月には、タイでネオラーメンという一風堂よりも4割くらい価格帯の低い新しいお店を始めました。今年1年かけて出店と修正を繰り返して、しっかり軌道に乗せていきます。
もう一つは、イスラム教徒のお客様にも食べていただけるハラールのお店。イスラム教徒の人は世界に20億人いるといわれていますけど、このマーケットに資本主義圏から進出しているお店はまだそんなにありません。僕らは既にハラールの食材の認証を取得済みで、今年はイスラム教徒の人を対象に新しいお店を立ち上げられるよう準備を進めています。
これまでは中間層のちょっと上のところのお客様に多くご利用いただいてきましたが、これからはアジアで中間層のど真ん中のゾーンの方々を中心に、いまや日本食を代表するメニューの一つにもなったラーメンを、お寿司などの他の日本食と一緒に紹介していきたいですね。さらに世界に出て行くぞと心を燃やしています。
日本のお店については、もっとお客様に近づいていこうと社員に話しています。商品も接客ももっともっとイキイキさせる。そしてしっかりと地域に密着したお店をつくろうと。これまでのような豚骨とんこつばかりでなく、例えばこういうからい商品も出してみましたと。お客様が求めているものを先取りして新しい可能性を提案していく。常に生まれ変わりです。40年の歴史があることはありがたいですけれども、常に新しく、新しく、挑戦を続けていきたい。いまこそ燃えていますよ。

力の源ホールディングス会長

河原成美

かわはら・しげみ

昭和27年福岡県生まれ。54年にレストランバーを開店。60年「博多一風堂」をオープン。平成9年TVチャンピオンの「全国ラーメン職人選手権」優勝後、3連覇達成。22年全米の「TOP10 Restaurants」(Yelp)で1位を獲得。著書に『博多一風堂 河原成美 凡人が天才に勝つ方法』(PHP研究所)など。

まずは働く人を元気にすること

河原 青谷さんは、和食レストランの「ばんどう太郎」など、いろんな業態のお店を運営されていますが、どのお店も超地域密着ですよね。その月に地元で行われた行事を撮影して店内にたくさん飾ってあるのを拝見しましたけど、とても新鮮でした。

青谷 おかげさまで、今年創業50周年の節目を迎えることができましたが、小が大に勝つと申しますか、当社のような小さい会社が勝つには、大手さんがやらないことをやるしかないという思いで、いろんなことに取り組んできました。特にうちが追求する大家族主義なんて、いま時何をやっているのかと(笑)。私どもは当たり前のことを当たり前にやっているつもりなんですが、はたには変わった会社に見えるかもしれませんね。

渡邊 いや、時代はまさに坂東太郎さんが志向される道に回帰していると思いますよ。外食産業は、長らく売る側の理屈で合理性、生産性、効率化ばかり追い求めて、忘れてはならない大切な部分を忘れ去ってきたと思うんです。けれどもこれからは、ちょっと手間はかかるけど、昔ながらの温かいアットホームな雰囲気を求める気運がワーッと盛り上がってくるような気がしています。古きよきものが進化して復活してくる。私はそう考えているんです。

青谷 日本という国の本来のありようが、日本の強みだと私は思っています。日本人の最もあるべき姿が大家族主義であって、それを大事にする会社が増えていかないと日本はよくならないというのが私の思いなんです。
先ほどビジネスの潮目が大きく変わると申し上げました。そういう時に大事なことは、原点に返ることだと思うんです。
私たちが追求してきたのは、ウキウキ、ワクワクするお店づくりです。渡邊さんがおっしゃったように、外食産業は長らく効率とか生産性ばかり追求してきましたけれども、私どもはそういう中で、お客様に喜んでいただき、感動していただくという原点を大切にしたお店づくりに取り組んできました。そしてそのためには、まず働く人をどれだけ元気にするかが大事だと私は思うんです。

渡邊 御社には、女将おかみ制度というユニークな制度があるそうですね。

青谷 もともとは労務倒産の危機に陥った時に苦肉の策で始めた制度なんです。お店は右肩上がりなのに人手不足で経営が追い込まれた時に、どうしたらお店で働いている一人ひとりをもっと生かしてあげられるか、パートさんまでしっかりした会社の戦力になってもらうにはどうすればいいかと考えて、女性のパートリーダーさんにサービス担当の女将さんとして活躍してもらうことにしたのが始まりです。日本の外食産業では初の試みとしてマスコミでも取り上げられましたけれども、次に女将さんになる人も育てようと考えて、花子さんというのもいるんです。

河原 そのアイデアが素晴らしいですね。

青谷 このモデルは料亭の女将さんではなくて、うちの実家が農地を借りていた県会議員の奥様なんです。笑顔と気配りを絶やさず、いつもかっぽうしく働いていて、地元では「女将さん」と呼ばれて慕われていました。私がリヤカーを引いてお屋敷に物を運びに行くと、奥様は「お食べなさい」と紙に包んだお菓子を渡してくださったものです。
お店のパートさんたちには、私が子供の頃にあこがれ、仰ぎ見ていたあの女将さんみたいな責任者に育ってほしいと思って「女将さん」と呼ぶようにしたわけです。
不思議なもので、お客様から「女将さん」と呼ばれているうちに、普通のスタッフがどんどん明るく、心配りのきいた立派な女将さんに育っていくんですよ。だから「女将さん」というのは魔法の言葉と言ってもいいくらい大切な言葉だと思っているんです。

渡邊 確かに女将さんはその読みのごとくに、「神さん」にも通じるものがあるのかもしれませんね。

青谷 うちだけでなく、いろんなところで使ってもらえるようになれば、地域がよくなり、日本がよくなると私は思いますね。

王将フードサービス社長

渡邊直人

わたなべ・なおと

昭和30年大阪府生まれ。54年桃山学院大学を卒業後、王将チェーン(現・王将フードサービス)に入社。関東エリアマネージャー、常務を経て、平成25年前社長の大東隆行氏の死去に伴い、社長に就任。原材料の国産化や最新鋭の餃子製造機械を備えた東松山工場の建設をはじめとした経営改革を断行し、一層の躍進を遂げる。