2022年12月号
特集
追悼・稲盛和夫
我が心の稲盛和夫⑧
  • 稲盛和夫(北京)管理顧問有限公司董事長曹 岫雲

人類が共有できる
稲盛哲学の力

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稲盛氏の著書を中国で先駆けて出版

稲盛和夫盛和塾塾長の突然の訃報を耳にした時、私は驚きを禁じ得ませんでした。5月末に塾長のご自宅を訪ねた方から、約1時間半の報告を受け項目を細かくチェックされたと聞いていたので、お元気であると確信していたのです。その日は衝撃のあまり眠ることができませんでした。というより、塾長との懐かしい思い出にひたりながら眠りたくなかった、というほうが正しいかもしれません。

振り返ってみれば、2015年くらいから塾長は時折、体調不良を訴えるようになり、体も幾分細くなられていました。時々手紙を出して励ましていましたが、塾長の死生観を学んでいる私は、価値ない生よりもむしろ尊厳ある死を望まれていることを知っていました。体が弱って世のため人のために生きられないと感じたらいさぎよく死を受け入れる、言い換えれば死ぬまで利他りたを貫かれてきたのが塾長の生き方だったのです。

塾長との出会いは2001年10月28日、天津てんしんで開かれた第1回中日企業経営哲学シンポジウムの場でした。塾長はご講話の中で人生には方程式があり、物事を判断するには基準がある。その基準とは人間として何が正しいかという極めてシンプルなものである、という話をされました。

私はこのご講話に言葉にならない感動を覚えました。中国江蘇省こうそしょう無錫むしゃくで服飾など多くの中小企業を経営する私でしたが、そういう考えをしたことが一度もなかったからです。半月後、私は京都の盛和塾事務局を訪問し、塾長のすべての著書と盛和塾機関誌44冊を購入。帰国後に熟読し、あふれ出る感動を日本語でしたためて塾長にファックスで送りました。塾長がとても喜んでくださったことは私の大きな自信にもつながりました。

2005年、日本を訪問した時、塾長は私を突然日本の盛和塾顧問に任命され、その後、京セラの秘書室から「京セラフィロソフィ」の中国語訳の修正を依頼されました。自分の言葉で塾長の哲学を表現するところに目を留められたのでしょう。ラジオ講座や企業活動で身につけた十分とは言えない日本語でしたが、塾長に喜んでいただきたいという一心でお引き受けしました。

翌年は塾長の思想を中国で広めるために『稲盛和夫の成功方程式』という本を出し、日本でも日本語訳が出版されました。当時、塾長の存在を知る中国人はほんの一握りでしたから、先駆けて本を出せたことは私の大きな誇りです。以来、中国語に翻訳させていただいた塾長の著書は28冊にのぼります。

稲盛和夫(北京)管理顧問有限公司董事長

曹 岫雲

ソウ・シュウウン

1946年中国生まれ。1992年無錫中幸時装有限公司設立。他に8つの服飾関係会社と1つの保健用品会社を経営。2007年無錫盛和塾を立ち上げた他、これまでに稲盛和夫氏の著書28冊を中国語に翻訳。2010年から現職。