2022年12月号
特集
追悼・稲盛和夫
我が心の稲盛和夫⑦
  • 国立大学法人鹿児島大学 稲盛アカデミー長武隈 晃

命に代えても
果たしたい〝約束〞

この記事は約5分でお読みいただけます

いまも鮮明に蘇る力強い手の温もり

人間の記憶は、あまりにショックな出来事があると、不意に途切れてしまうもののようです。

8月30日午後、学外の会議に出ていた最中でした。稲盛和夫・京セラ名誉会長のご逝去を知り、言葉を失いました。不思議なことに、それから会議で何を話し、勤め先である鹿児島大学にどう戻ったのか、まるで思い出せません。気づけば夕方、学内で行った記者会見の会場に立っていました。

昭和30年、本学工学部応用化学科を卒業した稲盛名誉会長には、幾度となく破格のお心遣いを賜ってまいりました。その一つが「稲盛経営技術アカデミー」の創設です。これは平成17年、京セラ会長を降りられた際の退職金を本学に寄附いただいて実現した、共同教育研究施設です。

その3年後、経営技術に留まらず、思想哲学全体を伝えていこうという方針で現在の「稲盛アカデミー」に改組。共通教育の選択科目として「稲盛和夫のリーダー論」「稲盛哲学:稲盛研究の最高峰が伝授」など幅広い講義を提供してまいりました。

私がこの稲盛アカデミー長を拝命したのは6年前のことです。20代から奉職してきた教育学部で学部長職を終え、学生生活を管轄する副学長となった翌年の平成27年秋、学長から併任を打診されました。当時は著書を通じて存じ上げている程度でしたが、そこで腹をくくったのは、ご自身が27歳で創業した会社の退職金をすべて託してくださったご恩、それに報いる責任を感じたからです。

就任までゆうは半年。名誉会長に関して知らないことは恥と考え、手に入る限りの資料を読んで勉強しました。そうして新年度からの構想を練り上げ、学長らと京セラ本社へご挨拶に上がったのが、28年2月8日でした。

半世紀以上経営の第一線で闘ってこられた名誉会長の目には、素人の私が半年でまとめた計画にほころびも多く映ったでしょう。にもかかわらず、つたない説明に一つずつじっくりと耳を傾けていただいたばかりか、帰り際にわざわざ部屋を出てエレベーターまでお見送りくださり、最後は両手でがっちりと握手までしてくださったのです。

「頑張ってくださいね」

あの時の笑顔、手のぬくもり、お声。これはもう忘れようにも忘れられません。以降、その日にお伝えしたことは名誉会長と私の約束、何があろうと必ずやり遂げる覚悟で取り組んでまいりました。

例えば、稲盛アカデミーが提供する科目の「全学必修化」です。学内では慎重な意見もわずかにあったものの、毎年1回、名誉会長への進捗しんちょく報告を続けながら議論を重ねて学内の合意を取っていき、令和2年度、3年がかりで実現に漕ぎ着けることができました。

あの日に抱いた気持ちがすべての原動力になったのです。

国立大学法人鹿児島大学 稲盛アカデミー長

武隈 晃

たけくま・あきら

昭和33年神奈川県生まれ。58年筑波大学大学院体育研究科修了、翌年より鹿児島大学教育学部講師。助教授、教授を経て平成22年学部長。26年4月より教育学部附属教育実践総合センター長、同年5月より副学長(学生生活担当)。28年稲盛アカデミー長を併任。31年からは同大理事も務める。