2018年4月号
特集
本気 本腰 本物
特別講話
  • 慈眼寺住職塩沼亮潤

人生生涯、
一行者の心で生きる

往復48キロ、高低差1300メートルの険しい山道を16時間かけて上って下りる。それを年に120日余り、足掛け9年で4万8,000キロを歩く大峯千日回峰行。もしも途中で続行不可能と判断した時は、自ら命を絶たなくてはならない。1300年の歴史の中で、この過酷な行の2人目の満行者となった塩沼亮潤大阿闍梨。19歳で僧侶となり、23歳の時に「本気・本腰」の命懸けで臨んだ修行の果てに塩沼師が掴んだ「本物」とは何だったのか。去る1月27日に行われた「『致知』愛読者の集い全国大会in福岡」での講演の模様を紹介する。

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修行の原点

「九百四十五日、今日も、いつもと変わらぬ朝を迎えて、いつものように歩いて、そして日が暮れようとしている。この九年間で、体も一回り小さくなり、骨も細くなりました。歯もボロボロ、足もだいぶん弱くなりました。しかし、難行苦行の中から、行とは、行じさせていただくものである。また人は、生かされているものだというありがたさを知りました。人間は、苦しい時の心が一番澄んでいるということも知りました。また明日どんなにつらくとも、苦しくとも、心豊かに優しく笑っていたい。いつまでも忘れずに、この心のまま歩いていたい。大峯千日回峰行おおみねせんにちかいほうぎょう、九百四十五日。」

皆さん、こんにちは。これは私が千日回峰行の945日目に書いた日誌です。私は幼い頃から修行というものに興味がありました。原点は小学校5年生の時。たまたま母と祖母がテレビで観ていたのが比叡山延暦寺の千日回峰行を扱った番組でした。それを観て小さいながら、「こういうお坊さんになりたい」という思いが胸の中に芽生えました。中学になり、高校になり、その気持ちがだんだんと強くなりました。母と祖母に「お坊さんになってもいい? 山で厳しい修行をしたいんだ」と言うと、2人は「自分のやりたいように、悔いのない人生を歩みなさい」と言って送り出してくれました。
 
19歳でお坊さんになりました。頭をって衣と袈裟をいただく時、お師匠さんが言われました。

「きょうから修行が始まる。君たちはまだ収穫されたばかりのジャガイモと一緒だ。想像してごらん。そのお芋さんにはたくさん土がついているだろう。土がついたままでは料理はできないから洗わないといけない。お寺というところは一つのたらいだと思ってくれ。そこに水を張って人間関係がぶつかり合う。痛みも生じる、辛いことも生じるけれど、お互いがぶつかり合って初めて綺麗きれいになるんだ」
 
小僧たち全員が、「はい、分かりました」と答えました。ところが毎日生活していると、初めは謙虚で素直で純真な気持ちであったのに、だんだん「なんで、あの人はこういうことをするんだろう」とお互いがぶつかり合ってきます。
 
若い頃は「自分が、自分が」と、まるで栗のいがのように棘々とげとげしている時代もあるでしょう。いがの中には硬い殻のよろいをまとい、その内側には渋皮まであります。その皮が一つひとつけていくと、ようやく本当の自分の心と出会えるのですが、それを覆う自我や我欲はなかなか取れてくれません。
 
それを取る作業は自分自身でするしかありません。お釈迦しゃか様は、お寺で毎日同じことを同じように繰り返していく中で見えてくるものがあると言われております。また、お師匠さんは
「君たちはいろんな修行をしたり学問を求めて来たかもしれない。けれども私が君たちに師匠として教えられるものは何もない。ただ、一緒に生活をして、後ろ姿から学び取ってもらうしかないんだ」と言われました。
 
この言葉を聞いた時は驚きましたが、何年か経つうちに、立つこと、座ること、歩くこと、その体からにじみ出てくるものがすべて、その人の品格や人格を表していることに気づき、日常が大事だという教えが少しずつ見えてきました。

慈眼寺住職

塩沼亮潤

しおぬま・りょうじゅん

昭和43年仙台市生まれ。63年吉野山金峯山寺で出家得度。平成3年大峯百日回峰行入行。11年千日回峰行満行。12年四無行満行。18年八千枚大護摩供満行。TED×Tohoku 2014(YouTube)では、仏教の教えである〝慈しみの心〟、日本の〝和の心〟を説く教えが国内のみならず世界中で反響を呼んでいる。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。著書に『人生生涯小僧のこころ』『人生の歩き方』『毎日が小さな修行』(いずれも弊社刊)ほか。