2017年9月号
特集
閃き
対談
  • クリエイティブディレクター水野 学
  • 中川政七商店社長 十三代中川政七

アイデアは必ず
生み出せる

奈良晒という伝統的技法でつくられた麻生地を守り続ける一方で、ブランディング戦略によって社業発展を続ける中川政七商店。社長である中川政七氏とともに、ブランディング戦略を成功へと導いてきたのが、クリエイティブディレクターの水野 学氏だ。お二人はいかにして閃きを積み重ねて、老舗企業に新たな命を吹き込んだのか。その軌跡を伺った。

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よき相談相手として

中川 改めて水野さんとの出会いを振り返ると、当時から展開していたブランドの一つで、麻生地を使った和雑貨を扱う「遊 中川」のCI(コーポレート・アイデンティティー)の見直しについてご相談したいっていうことでお会いしたのが最初でしたね。

水野 2007年の秋ですから、もうすぐ丸10年経ちますね。

中川 あの時は、誰に仕事をお願いしたいかというのを社内で話し合っていて、大御所のデザイナーさんに頼めるものならっていう話をしていたんです。ただ、他にもどなたかいい人はいないだろうかと社外の方にも聞いて回ったところ、3人連続で「水野学さん」っていう名前が出てきました。
そんな偶然ってあるのかなと思っていろいろと水野さんのことを調べさせていただいた上で、いずれにしろ会ってお話を聞いてから決めたいなと考えていたんです。
というのも、それまでも何人かのデザイナーさんと一緒に仕事をしていたんですけど、デザインだけじゃなくて、ちゃんとしたコミュニケーションが取れないとあまりいい仕事にならないなっていうのを痛感していました。だから水野さんに初めて会いに行った時は、「まだ迷っているんで、まずお話だけさせてください」って言いましたけど、3時間くらい喋って、帰る頃にはもう「お願いします」って言ってましたね(笑)。

水野 3時間だったかどうかはちょっと覚えてないですけど、それくらい話をすることってまずないんですよ。普通はだいたい30分か、長くて1時間ですけど、その時は将来的なビジョンのことにも話が広がって、既に打ち合わせになっていましたね。

中川 やってもらいたい仕事はこれですって言っておきながら、本質的に求めていたのは、やはり会社全体のことを見てもらいたいというところにありました。
ただ、なかなかそういうデザイナーさんと出会えなかっただけに、水野さんが会社経営の視点に立った上で、商売のことに責任を持って関わってもらえる方だと分かった時には本当に嬉しかった。しかも年が近いのもあって、ぜひお願いしたいと思ったんです。
最初の5、6年は継続的にべったりと一緒にやらせていただいて、それ以降は個別でお願いさせてもらう形のお付き合いですけど、様々な経営判断を行う上でのよき相談相手として、ずっと支えてもらっているっていう感じですね。

クリエイティブディレクター

水野 学

みずの・まなぶ

昭和47年東京都生まれ。多摩美術大学卒業後、平成10年good design companyを設立。ブランドの各種デザインからブランドコンサルティングまでをトータルに手掛け、現在はイオンや相鉄グループのブランディングに携わる。著書に『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』(誠文堂新光社)など。

実力は40億円以上

水野 僕がなぜ中川さんのご依頼を受けたのかというと、見えたんですよね。

中川 見えた(笑)。

水野 ええ。見えたからお受けしたんです。当時、中川政七商店には「遊 中川」「粋更kisara」という二つのブランドがありましたよね。仕事のご依頼は「遊 中川」でしたけど、それに対する回答を差し上げた上で、「中川政七商店」という社名を冠したブランドを新たにつくってはどうかと思って、提案させてもらいました。
理由は2つあって、一つは中川政七商店という社名がとても素晴らしいと思ったこと、もう一つは既存のブランド2つでは中川さんには小さいと感じたんです。つまりゴールがある程度見えていて、市場規模からするとどう考えても40億円が限界だろうと。
僕の最高の特技は、様々な経営者の方と様々なプロジェクトを経験する中で、この経営者だったらこれくらいは稼げるんじゃないかということが、経験値から見えることなんです。僕には中川さんは40億円以上の実力があると見ていました。だからこそ次の事業展開を見据えて、新しいブランドを早々に立ち上げるべきだとご提案したんですよ。

中川 40という数字はちゃんと覚えてなかったんですけど、かなり早い段階から新しいことをやるべきだって言われたのはよく覚えています。
水野さんは中川政七商店の抱えていた問題点を非常に的確に捉えられていて、それって経営領域じゃないですか。一応、僕も経営者としてやっていて、しかも自分の会社のことは自分が一番考えているわけで、突拍子もない提案ならピンとこなかったと思うんだけど、その時はピタッときた。
それで「やりましょう」っていう判断もその時にして、しばらくしてから動き出しました。それがいまの「中川政七商店」という、日常的な暮らしの道具を扱うブランドを事業の中心とした業態になっているので、水野さんと出会えていなかったら、中川政七商店はいまとは違う形になっていたんだろうなと思いますね。

水野 新しい提案に対して、普通だったら「分かりました。ちょっと一回考えてみます」となるんですけど、中川さんはそうじゃなくて、いいと思ったらすぐに「分かりました。やります」って言いますよね。理解も早いし、判断も早い。だからこそ当時9億円だった売り上げを52億円まで伸ばしてこられたんだと思うし、大きな会社のリーダーになっていくような人って、こういう人なんだなっていう感じがしますね。

中川政七商店社長 十三代

中川政七

なかがわ・まさしち

昭和49年奈良県生まれ。京都大学法学部卒業後、富士通を経て、平成14年中川政七商店入社。20年社長就任。28年「中川政七」を襲名。著書に『日本の伝統工芸を元気にする!』(東洋経済新報社)など。