2018年4月号
特集
本気 本腰 本物
  • 松下電器産業元副社長平田雅彦

松下幸之助と髙橋荒太郎

二人の師に学んだこと

松下電器産業の創業者・松下幸之助と、創業者を陰で支え続けた〝大藩頭〟髙橋荒太郎。2人は戦前戦後の荒波をいかに二人三脚で乗り越えて事業を守り、成長させていったのか。2人を師と仰ぐ元副社長・平田雅彦氏のお話からは、その「本気 本腰 本物」の生き方が伝わってくる。

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営業改革を経理の立場で下支え

私が松下幸之助創業者から直接、ご指導を受けるようになったのは、昭和39年、熱海会談後の営業改革のためでした。当時会長だった創業者が営業本部長代行として改革の先頭に立つようになり、松下電器産業(以下、松下)本社の経理課長だった私は、その都度ご指導を受け、時には提案もしました。このように経理の立場から改革を下支えしてきたことは、私の大きな誇りでもありました。
 
改革が一段落した昭和40年末、私は髙橋荒太郎副社長の業務秘書に任命されました。辞令を受けて創業者のところに挨拶に行った折、「平田君、髙橋さんは松下電器経営方針の一番の理解者だ。よい機会だから、しっかり勉強してこい」と言われたことが、いまでも記憶に残っています。
 
髙橋さんは「業務秘書は普通の秘書とは違うぞ」と言って、経営幹部とのいろいろなやりとりの場に私の同席を許したほか、国内の工場視察に随行する機会も多くあり、2年間、非常に多くのことを勉強させていただきました。
 
私は日本の高度成長期を松下とともに歩み、親しく2人の薫陶くんとうを受けてきました。またとない時に2人の師匠に仕え、特に松下の経営方針が人を動かし、企業を動かし、社会を動かしていく様を目の当たりにできたことは誠に幸運でした。おそらく2人の実践を見ることのできた最後の世代だったのかもしれません。
 
ここでは、2人の遺徳をしのぶ意味を込めて、髙橋さんを軸に、その足跡や思い出の一端をご紹介したいと思います。

松下電器産業元副社長

平田雅彦

ひらた・まさひこ

昭和6年福岡県生まれ。29年一橋大学商学部卒業後、松下電器産業に入社。42年日本ビクターに出向。同社専務、松下電器産業副社長、常任監査役を歴任し平成9年退任。現在、エイチアイエス取締役。