2024年6月号
特集
希望は失望に終わらず
一人称
  • 山本幡男を顕彰する会会長岡田昌平

ラーゲリからの遺書

山本幡男の生涯が教えるもの

終戦後のシベリアで過酷なラーゲリ(強制収容所)に抑留されながら、勉強会や俳句の会を主宰し続け、不屈の精神を以て人間らしく生きることに徹した山本幡男。幡男はなぜ生きる希望を失わなかったのか――。その艱難辛苦の人生から見えてくる希望を失望に終わらせない要諦を、「山本幡男を顕彰する会」の岡田昌平会長に繙いていただいた。

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「ダモイの日は必ず来る」偉大なる凡人の生涯

第二次世界大戦の終戦後、約60万人の日本人が抑留されたとされるシベリアのラーゲリ(強制収容所)。氷点下40度の極寒、乏しい食糧、過酷な強制労働……。多くのりょが生きる望みを失う中、「ダモイ(帰国)の日は必ず来る」と絶望のふちにある仲間を励まし続けた人物、それが山本幡男はたおです。

「自分も日々学び、経験をして、人道というものに目覚めている」

晩年の幡男が遺した言葉です。この言葉通り、自由のないラーゲリにありながら、勉強会や俳句の集いを主宰しました。詳細は後述しますが、逝去する最後のひと時まで学びを追求する幡男の情熱は次第に伝播でんぱしていき、俘虜たちの心に希望の光を灯したのです。

そんな偉大なる凡人の生涯が日の目を見たのは、1989年のことでした。幡男の半生が描かれた、辺見じゅん氏のノンフィクション小説『収容所から来た遺書』がじょうされ、テレビや演劇で頻繁に取り上げられるようになりました。

幡男の出身地・島根県西ノ島の町長を務めていた当時の私はその内容に感銘を受け、幡男の知人であった伯父や抑留から生還した方の元を訪ね歩くようになりました。幡男に接した人々との交流を通じてその偉大さを改めて実感すると共に、故郷の偉人を広く知ってもらいたいとの思いに駆られたのです。地元から26名の有志を募り、1998年に「山本幡男を顕彰する会」を発足しました。

以後の顕彰会は、景勝地「摩天崖まてんがい」への顕彰碑の建設や西ノ島ふるさと館での資料・遺品の展示、生家跡への顕彰碑の建設、講演会をはじめ、様々な活動に取り組んできました。2022年には俳優・二宮和也氏主演の映画『ラーゲリより愛を込めて』が公開され、再び脚光を浴びています。

本欄では、俘虜に日本人としての心の糧と生きる希望を与えた山本幡男の足跡を辿たどりながら、最後まで希望を捨てずに生き抜く要諦ようていひもといていきたいと思います。

山本幡男を顕彰する会会長

岡田昌平

おかだ・まさひら

昭和17年島根県西ノ島生まれ。46年中央大学卒業。58年西ノ島町町長就任。平成10年「山本幡男を顕彰する会」を設立、以来現職。平成11年西ノ島町町長を退任。