2024年6月号
特集
希望は失望に終わらず
トップインタビュー
  • 井村屋グループ会長CEO中島伸子

人生のハンドルを握り
扉を開けられるのは
自分だけ

明治29年の創業以来、128年の歴史を刻んできた井村屋グループ。
数多くのロングセラーを手掛け、年間3億本を販売する看板商品「あずきバー」は昨年50周年を迎えた。
その背景には「人こそ宝」の創業精神が脈々と受け継がれてきた企業風土があるという。
こう語るのは、アルバイト出身から同社初の女性社長に抜擢された中島伸子さんだ。
女性の社会進出が難儀だった時代の中で、幾度も試練やハンディキャップを克服、道なき道をひらいてきた。
波瀾万丈な仕事と人生の歩みを辿ると共に、経営理念を浸透させ、社員を育成し、チームの心を一つにする秘訣に迫る。

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入社式を迎え、期首の慌ただしい最中にもかかわらず、4月4日(木)、三重県津市の井村屋グループ本社を訪ねると、中島伸子会長は笑顔で私たちを迎えてくださった。

ミッションは「おいしい!の笑顔をつくる」

──本日はお忙しいところ、ありがとうございます。

私自身、10年ほど『致知』を購読していて、ノウハウや手段ではない人間としての本質の部分がすごく勉強になりますし、感動した言葉やエピソードを社員にも伝えていますので、喜んで取材をお引き受けしました。
先ほどお渡しした名刺にも書いてありますが、今年(2024年)の経営指針は「せんこう そして備えよ常に!」なんですね。これは1月の能登半島地震があったからではなくて、その前からBCP(事業継続計画)の大事さを強調していて、去年(2023年)の12月に発表しました。
ご存じの通り、先義後利は古代中国の儒者・じゅんの言葉で、日本で広めたのは石田ばいがんといわれていますけど、社会のことを考えて義のある正しい道を優先して行う。すると利益は後からついてくると。
このように1年ごとにいまの時代を表すキーワードを定めているわけです。『致知』からよい言葉を勉強させてもらうことが多くて、去年は「こうごういつ」で、その前は「ひゃくまんてんきょうにっともしび」でした。名刺交換をすると、これってどういう意味ですかってよく聞かれるものですから、『致知』の宣伝をしています(笑)。

──それは恐縮です。井村屋グループのHPを拝見し、「ミッション(社会的使命)」「ビジョン(ミッションを果たす道程)」「パッション(情熱、心意気、行動)」の三つから成る理念に感銘を受けました。

これは2010年にホールディングス制に移行した時につくったものなんです。我われは国内5社、海外3か国6社の計11グループ、従業員数約930名をようし、あずきを中心に和菓子・冷菓・食品・点心・スイーツなどの事業を展開しており、おかげさまで連結の売上高は446億円、経常利益は22億円(2023年3月期)となっています。
まずミッションは「おいしい!の笑顔をつくる」。これを国内だけではなく世界に広めたい、日本の食文化の素晴らしさをグローバルに知ってほしいという思いで日々まいしんしています。あずきは縄文時代の遺跡から出土されているように古来日本人にみがありますし、おめでたい時にお赤飯を食べるなど、日本の伝統行事や文化と深く結びついているんです。
次にビジョンは「Be always for Customers!」。社員一人ひとりが常にお客様の立場に立ってお客様のことを意識し、行動しようと。そして、パッションの原点は「イノベーション(革新)」の発揮にあると考えています。
我われはメーカーですから安全安心な商品を当然お届けしなければいけませんが、そのためには、お客様が笑顔で幸せになられている場面を想像してよい商品づくりをしなさい、と社員によく言っているんですね。社員自身が幸せを感じながらつくっている商品であれば、きっとお客様に幸せをお届けできる。
ですから、お客様のことを想定しているだけではなく、自分たちもやりがいをもって働いていく。そこが大事だと思っています。

井村屋グループ会長CEO

中島伸子

なかじま・のぶこ

昭和27年新潟県生まれ。50年豊岡女子短期大学教育学部卒業。井村屋製菓(現・井村屋グループ)福井営業所でのアルバイトを経て、53年正社員として入社。経理課長、福井営業所長、北陸支店長、関東支店長、常務取締役総務・人事グループ長、専務取締役などを歴任し、平成31年代表取締役社長に就任。令和5年より現職