2017年5月号
特集
その時どう動く
一人称
  • 萩博物館特別学芸員一坂太郎

幕末の志士、
高杉晋作の
志に学ぶ

晋作はその時
どう動いたか

明治の元勲・伊藤博文が「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視するものなし、これ我が東行高杉君に非ずや……」と、その顕彰碑文に記した幕末の志士・高杉晋作。吉田松陰の門下生として激動の幕末を駆け抜け、明治維新の原動力となった晋作の生涯を、30年以上にわたり晋作と向き合い続けてきた一坂太郎氏に語っていただいた。

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激動の幕末を駆け抜けた高杉晋作

私が、幕末の志士・高杉晋作に興味を抱いたのは小学5年生の時。当時放送されていた、幕末の志士たちの活躍を描いたNHK大河ドラマ『花神』を見たことがきっかけでした。ドラマの中で中村雅俊さん演じる晋作は、まるでヒーローのように格好よく、幼い私は非常に心動かされたのです。

その頃、私は図書館で歴史漫画や歴史小説を読み耽る歴史好きな子供でした。大学進学後、吉田松陰や高杉晋作、幕末史研究に取り組むようになったのでした。

意外に思われるかもしれませんが、晋作は藩主や両親への忠義や孝行を重んじる封建的な面を強く持つ人でした。第二次長州征伐の直前、木戸孝允に「毛利家のための忠臣となりたい」などと書き送っているように、残された資料を丹念に読むと、奇兵隊の結成も長州征伐軍との戦いも、すべては彼が忠義を尽くす長州藩、そして愛して止まない武家社会を守るための行動だったことが分かります。

しかし、晋作の行動は、結果的には「明治」という新しい時代を到来させ、彼が守ろうとした社会や価値観を崩壊に導いてしまうという矛盾を孕んだものでした。

研究を続ける中で、そうした観点から晋作や明治維新を見ることができるようになった時、かつてはヒーローだった晋作がリアルな人間として迫ってきたように感じ、私はより一層、晋作という人物への関心を深めていったのです。

幕末という激動の中に立たされた高杉晋作という若い武士を突き動かしたものは何だったのでしょうか。そして、時代が動く「その時」、晋作はどう決断し行動したのでしょうか。晋作の足跡を辿りながら考えてみたいと思います。

萩博物館特別学芸員

一坂太郎

いちさか・たろう

昭和41年兵庫県生まれ。萩博物館学芸員、至誠館大学特任教授、防府天満宮歴史館顧問。著書に『高杉晋作考』(春風文庫)『幕末維新の城』(中公新書)『吉田松陰と高杉晋作の志』(ベスト新書)など多数。講演会、テレビ出演も多い。