2023年11月号
特集
幸福の条件
対談
  • 坂東太郎会長青谷洋治
  • 南薩食鳥社長徳満義弘

企業繁栄への道

幸福の創造を求めて

関東で和食レストランを中心に直営84店舗を展開する坂東太郎。鶏肉の加工・販売を手掛け、種鶏処理業界トップを走る鹿児島の南薩食鳥。共に幸福創造企業を目指し、社員・取引先・お客様の幸せを追求した経営に邁進している。それぞれの会社を率いてきた青谷洋治氏と徳満義弘氏に、いかにして理念を確立し、浸透させ、育ててきたか、語り合っていただいた。半世紀近くにわたるビジネス人生を通して掴んだ幸福の条件――。

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半世紀近くにわたるビジネス人生

徳満 はじめまして。青谷会長のご本を読ませていただいて、すごくパワーを感じました。私なんか足元にも及ばないなと。

青谷 いやいや、私もご著書を拝読しましたが、徳満社長はよく勉強しておられるから、高い視座で文章表現をなさっている。私は中卒で社会に出て、50歳を過ぎて高校に進学しましたので、きょうは立派な方から勉強させてもらおうと思って伺いました。

徳満 私は大した学があるわけではありませんし、青谷会長のように創業者ではなく、サラリーマンからのスタートでした。大学を卒業して、しょくちょうというなんさつ食鳥の元親会社に入社したのが47年前です。再建のため南薩食鳥に出向し、きょくせつを経て社長を務めているわけで、先代社長と仕事に育てていただいたという気持ちが強くあります。
私どもは鹿児島のらんに本社を構え、日本全国の食品メーカーや外食チェーン店、小売店などに対し、鶏肉の加工・販売を行っています。地元では最後発ながらも、関連法人のエヌチキンと2社合わせて、現在売上高は約90億円、従業員はパートさんを含めて500名ほどになりました。親鶏(採卵目的の鶏)とブロイラー(肉用鶏)の親になるしゅけいを取り扱っており、おかげさまで種鶏処理業界の中でトップを走っているんです。
とはいえ、まだまだ地方の小さな会社で、これからさらに一人ひとりの社員が成長し、発展し続けなければならないと感じています。

南薩食鳥が手掛ける鶏たたきの人気商品「味なとり」

青谷 私も創業して48年になります。あっという間でしたけど、創業当時は女房と弟の3人で小さな飲食店からスタートしたんですね。どうしてこの仕事を選んだかというと、ずばり生活優先。もともと農家の後継ぎでしたが、生活はままならず、どうしたら家族を食べさせることができるか、幸せにできるかを考えてのことです。
その時に、たまたまご縁のあったお屋さんが私の修業を受け入れてくれました。人が10年かかるところを3年でやろうと自分で決め、結果として3年半で独立させてもらったんです。現在では、茨城・栃木・千葉・埼玉・群馬の各県で、和食レストランを中心に直営84店舗を展開し、正社員187名、アルバイトを含めると2,300名以上になり、前期の売上高は96億円です。

坂東太郎の看板メニュー「坂東みそ煮込みうどん」

これまでいろんな問題がありましたけど、経営する中で大事にしてきたのは「人が育つ会社をつくりたい」ということでした。ばんどうろうでアルバイトをしていた子が「どこでこんなしつけを受けてきたの」と言っていただけるような環境をつくりたい。レストラン業だけれども、本質的には学校みたいな会社をつくりたい。そういう思いでずっとやってきたんですね。

坂東太郎会長

青谷洋治

あおや・ようじ

昭和26年茨城県生まれ。42年中学卒業後、家業の農家を継ぐ。46年農業から飲食業に転身して3年半の修業を積み、50年境町に一号店を開店。61年㈱坂東太郎設立、社長就任。平成28年より現職。著書に『代々初代』(致知出版社)。

事業承継とは魂の引き継ぎ

青谷 1つの会社が3代続くのはなかなか難しいと昔からよく言われます。徳満社長のように創業者の先代から引き受ける、私のように親から息子に引き継ぐ、いずれの場合でも大切なのは、「覚悟」だと思っています。
2代目、3代目がいかに丸ごと引き受ける覚悟ができるか。後継者は何代目であろうと自分が初代のつもりで仕事に向き合い、先代の功績以上によりよいものを創り上げていくことが大事だと考え、書名を『だいだいしょだい』にしました。

徳満 代々初代、素晴らしい言葉ですね。

青谷 苦労しないですんなり事業承継してしまうと、自分でやってきたことを語れないから、ブレてしまう気がするんです。代々初代の覚悟を持ったら、えて苦労をし、苦労した分だけ人に語ることができる。後継者は幹部や社員から認められることが絶対に必要ですし、自分の力で社長の座を勝ち取らなければなりません。
そういう意味で、2016年に息子の英将に社長を引き継ぐ前、私は1年間、役職者全員に役職を降りてもらいました。白紙の状態で次の社長や幹部を皆で決めたいと考えたんです。一人ひとりと面接する中で、「ここまで積み上げてきたのに、どうしてそんなことをするんですか」と泣かれましたよ。でも、本当に一所懸命やった人は皆から支持され、元の役職に戻れると思うよと説得しました。
役職は降りても、仕事の内容はそれまでと変わらずにやっていきましたが、皆は1年間すごく苦労したと思います。

徳満 ご本の中にも書かれていて衝撃を受けましたが、その決断はなかなか容易にはできません。

青谷 そろそろ息子に社長をやらせてあげてもいいんじゃないか、という声が幹部の中から出てきてくれることを私はひそかに望んでいたんです。ただ、一人でも反対する幹部がいたらやめようと。厳しい親父ですからね(笑)。
私としても一つの賭けでした。だけど、事業承継というのはただ単に先代の考え方を引き継ぐのではなく、命を懸けた魂の引き継ぎだと思っているんです。
そういうことを幹部に伝えていったところ、皆が彼に社長をやらせてあげてくださいと話してくれたので、翌年の事業計画発表会で社長交代を披露しました。

徳満 直にお話を伺って、改めて感服しました。正直言って私にはできないかもしれません。経営者としての芯の強さや責任感を私も持っているつもりでしたが、まだまだ足りないと自覚しました。

南薩食鳥社長

徳満義弘

とくみつ・よしひろ

昭和28年宮崎県生まれ。51年名古屋商科大学卒業後、児湯食鳥入社。55年会社再建のため出向という形で南薩食鳥の経営に参画。グループ最年少役員、社長代行を経て、平成7年社長就任。著書に『百年企業への挑戦』(致知出版社)。