時は幕末。紀伊半島を襲った巨大地震と津波から村を救い、藩や国のため多分野で獅子奮迅の働きを見せた実業家がいた。ヤマサ醤油七代目・濱口梧陵である。防災や国防に精通し、梧陵の顕彰にも尽力する濱口和久氏に、和やかな元日に突如、能登地方を襲った震災の教訓を交え、この国難の時代を生きる道標を示していただく。
拓殖大学防災教育研究センター長、大学院地方政治行政研究科特任教授
濱口和久
はまぐち・かずひさ
昭和43年熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒(37期)。防衛庁陸上自衛隊、首相秘書、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)などを経て、現職。令和5年4月より「稲むらの火の館」客員研究員第一号に就任。著書に『リスク大国 日本』(グッドブックス)『日本版 民間防衛』(江崎道朗氏らとの共著/青林堂)など多数。
濱口梧陵
はまぐち・ごりょう
文政3(1820)年紀伊国広村に生まれる。天保2年12歳で本家の養子となり、千葉銚子にて家業(ヤマサ醤油)の奉公に入る。嘉永4年広村に崇義団を結成、翌年稽古場を開設。安政元年に起きた安政南海地震の津波に「稲むらの火」を掲げ村民を救済、堤防の造築に着手。以降も社業の傍ら故郷の振興に努め、明治4年駅逓頭、和歌山県大参事。退任後の明治18(1885)年視察旅行中の米ニューヨークにて66歳で客死。 肖像=国立国会図書館「近代日本人の肖像」