2022年1月号
特集
人生、一誠に帰す
対談
  • ビジョンメガネ社長(左)安東晃一
  • 荻野屋6代目社長(右)高見澤志和

かくて会社は蘇った

企業再生への道のり

現在、大阪府を中心に眼鏡店を幅広く店舗展開するビジョンメガネは、2013年、経営危機に陥り民事再生法の申請を行った。その僅か2週間前に社長に就任し、経営の立て直しに当たったのが安東晃一氏である。人気の駅弁「峠の釜めし」で知られる荻野屋も過剰投資による多くの負債を抱え、6代目を継いだ社長の高見澤志和氏が再建に尽力した。共に社長として会社を蘇らせてきたお二人が、ここに至る険しい道のりを振り返りながら、その時の執念や信条を語り合う。

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様々な逆境を乗り越えていまに

安東 きょうは髙見澤たかみざわさんとお話しができるというので楽しみにまいりました。荻野屋おぎのやさんの「とうげかまめし」は私も時折購入していて、きょうも東京駅で買って帰ることにしています(笑)。

髙見澤 それは嬉しいですね。

安東 「峠の釜めし」といえば、全国の駅弁ファンにはすっかりお馴染なじみですが、対談に当たって荻野屋さんの資料を拝見していたら、会社としても、また髙見澤さんご自身としてもいろいろな大変な状況を乗り越えてこられたようですね。私自身の人生とも重なって共感することが多くありました。

髙見澤 私個人のことで申し上げれば、2003年、27歳の時に父の急逝きゅうせいによって群馬に戻り、荻野屋に入社しました。それまで海外に留学をしていて荻野屋のことには特に関心がなく、ここで働こうと思ったこともありませんでしたが、いわば逃げ道のない状況で後を継ぐようになったんです。
その頃、私は荻野屋の経営自体は好調だろうという認識でいました。しかし、いざ入社して財務諸表を見たところ大変厳しい状況にあることを知りましてね。そこからいろいろな改革に取り組みながら、何とか経営を軌道に乗せてきたというのが正直なところです。

安東 そうでしたか。私の場合、大学を出た1996年にビジョンメガネに入社し、2011年に子会社の社長に、2013年には親会社(ビジョンメガネホールディングス)の社長になったのですが、私が親会社の社長に就任した2週間後に民事再生法適用を申請するんです。親会社は2009年にジャスダック上場を廃止していて業績は決してかんばしくありませんでしたが、倒産にまで追い込まれていたとは思いませんでした。

髙見澤 大変な時期に社長を引き受けられたのですね。

安東 しかし、おかげさまでいまでは経営を再建でき、今年(2021年)10月31日に創業45周年の節目を迎えることができました。私共は眼鏡やコンタクトレンズ、補聴器など目と耳に関わる商品を販売しています。大阪府を中心に106店舗、約430名の従業員をようしているのですが、再生に向かう上で「モノ」だけでなく「コト」を売ることに力を入れてきたんです。

髙見澤 「コト」ですか?

安東 ええ。単に商品を販売するだけでなく、例えばそこに視力測定の知識や技術を盛り込んだサービスを行ったり、独自の保証制度を構築したりと「モノ」以上の満足をご提供してきました。
そのために大切な役割を果たしてくれているのが社内のマエストロたちです。これは我が社独自の資格制度なのですが、上級のマエストロになると、眼鏡の販売や視力測定、加工の技術はもちろん、お客様の目の状況を細かく説明し、数多くの選択肢の中からどのような商品が一番合うかを具体的に提案できる力を身につけています。従業員たちはより上級のマエストロを目指して、日々切磋琢磨せっさたくましているところなんです。
荻野屋さんも現在、首都圏の新規事業に力を入れるなど新たな挑戦を続けられているそうですね。

髙見澤 はい。2017年からはGINZA SIXなど東京都内で店舗展開を続け、観光という従来の枠にとらわれない事業に取り組んでいます。2020年からのコロナによって私たちの主力である観光事業がまったく機能しなくなったわけですが、一方で百貨店、スーパーの催事などお弁当の需要は高いものがありますので、お取り引きをいただいている方々との連携をさらに強化しています。併せて「釜めしは変えちゃいけない」という従来の方針を転換し、私の代になっていろいろなバリエーションもつくり始めました。
私たちの事業は旅にまつわるものですが、現在では「お客様の人生の旅」と、さらに旅の定義を広げ、子供時代も、また年齢を重ねてからも楽しんでいただけるような旅の思い出づくりのお手伝いをさせていただいています。
その中心になるのが明治期、旅館業をやっていた頃からの食であり、中でも味と食材へのこだわりです。どちらもこれで十分というものではありませんので、新たな価値の提供を目指してチャレンジを続けたいと思っているんです。

ビジョンメガネ社長

安東晃一

あんどう・こういち

昭和47年大阪府生まれ。大阪国際大学卒業。平成8年にビジョンメガネ入社。子会社の社長等を経て25年ビジョンメガネホールディングス社長に就任。同年の民事再生手続きの後、同社の年商を約50億円にまでV字回復させた。

アミダクジで決まった子会社の新社長

髙見澤 安東さんは生え抜きの社長でいらっしゃるわけですが、ビジョンメガネを就職先に選ばれたのはどういう理由からですか。

安東 特に眼鏡に興味があったわけではないんです。最初は選択肢の一つにすぎませんでした。ビジョンメガネは関西でテレビコマーシャルをやっておりましてね。テレビCMをやっているくらいだから、きちんとした会社なのだろう、という軽い気持ちでした。また、母の高校時代の先生が、その頃、たまたまビジョンメガネで働かれていたことも応募するきっかけとなりました。
入社して半年後には店長を任せていただき、営業以外にも事業の企画運営や店舗開発などひと通りの仕事を体験し、39歳で子会社の社長になる前は、株主や投資家に経営状況をご説明するIRの担当をしていました。

髙見澤 社長になられたのは、そういう実績が認められたからなのですね。

安東 諸先輩がいらっしゃる中で私が子会社の社長になるのはちょっと荷が重いという気持ちがあって一度はお断りしたんです。ところが、ある時、会議室に行きましたら当時の親会社の代表がホワイトボードに線を引いてアミダクジをつくられたんです。「新社長を選ぶからクジを引け」と。10本くらいありましたから、まさか当たらないだろうと思っていたら当籤とうせんの花丸が描かれていました(笑)。
「そんなんで社長になっていいんかな」と迷いましたけれど、これもご縁と思ってお引き受けすることにしました。創業者は強力なリーダーシップを発揮される方でしたが、私は一人でリーダーシップを発揮するというよりも、皆の協力をいただきながら、共に会社を盛り立てていく立場だったのかなと思います。

髙見澤 経営者には、そのような運も求められているのでしょうね。クジといいながら、選ばれるべき人が結果的に選ばれているのではないか、また会社はそういうものを引き寄せるだけの力があったのではないかとお話を伺いながら感じました。

荻野屋6代目社長

高見澤志和

たかみざわ・ゆきかず

昭和51年群馬県生まれ。平成12年慶應義塾大学法学部卒業。15年に荻野屋へ入社し、専務取締役を経て24年に6代目社長就任。社内改革を推進する一方、新商品の開発や首都圏をターゲットにした新規事業を展開。30年同大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。著書に『諦めない経営』(ダイヤモンド社)。