2017年2月号
特集
熱と誠
インタビュー①
  • ラッキーピエロ社長王 一郎

愛こそが、
私の人生と
経営を導いてきた

人口約27万人の北海道函館で、年間200万人を超える人々が全国各地から押し寄せるハンバーガーチェーン・ラッキーピエロ。同店を全国チェーンの追従を許さない地域ナンバーワンの人気店にまで育て上げた創業者の王 一郎氏に、その歩みと経営に懸ける熱と誠を伺った。

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函館の街に一目惚れ

──王さんが函館で経営するハンバーガーチェーン・ラッキーピエロは、人口約27万人の函館で、全国各地から年間200万人もの人々が訪れるそうですね。

ええ、そうなんです。私がラッキーピエロを立ち上げて今年(2017年)で29年になるんですが、号店を出店した当時の函館の西部地区は、まだ開発が進んでおらず、飲食店などほとんどない状態でした。
ただ、当店以外に行くお店がなかったことが幸いして、オープンしたと同時にお客様がたくさん来てくださったと。そこから慌てることなく、お店とスタッフの成長に合わせ、ゆっくりゆっくり店舗を増やしてきまして、現在は函館市内17店舗になっています。これは、全国チェーンの出店数を上回る函館で断トツの一番です。

──王さんは、もともと函館でお生まれになったのですか。

いえ、私は神戸で商店を営む華僑の家に5人兄弟の長男として生まれましてね。小さな商店ですから、両親は朝から晩まで仕事でろくすっぽ構ってもらえない(笑)。
それで、当時は就職難だったことも影響して、私は高校卒業と同時に千葉にいた叔父が経営していた商社に預けられたんです。
私はそこで3年間一所懸命に働き、商売のイロハを叔父から直接教えてもらいまして、その後、21歳で独立し、千葉県市原市に中華料理店を出店しました。

──お若い頃から経営に携わってこられたわけですね。

ええ。出店の際には、横浜の中華街で働く父の友人が手伝いに来てくれ、中華料理の技術を伝授してくださり、横浜の本格的な中華が味わえるということで、そこそこ繁盛店になったんですね。
それで、その勢いを借りてもう1軒お店を開いて、しばらくは2店舗の経営に専念していたのですが、そんな折、ある用事で函館を訪れまして、一目見るなり函館が気に入ってしまったんです。
やっぱり、私は神戸の出身ですから、船が行き交う港町が好きなんですよ。これはすごくいい環境だと、すぐに千葉のお店を弟に譲って、翌年には拠点を移し、私は函館の人になっていました。

ラッキーピエロ社長

王 一郎

おう・いちろう

昭和17年兵庫県生まれ。高校卒業後、実業家の叔父のもとで経営の手ほどきを受け、21歳で独立。千葉県内での中華料理店経営などを経て、44年活動の拠点を北海道函館に移す。62年ハンバーガーチェーン・ラッキーピエロを創業し、現在函館市内に17店舗を展開。著書に『B級グルメ地域№1 パワーブランド戦略』(商業界)『美味しい、楽しい、感動があるから、お客様は来てくれる』(ダイヤモンド社)などがある。