2019年4月号
特集
運と徳
インタビュー①
  • マツ六社長松本 將

介護リフォーム事業を
通じて、世のため人のため
に貢献する

1921年に建築金物の卸売りから事業をスタートさせたマツ六(大阪府)は、「住宅介護リフォーム」という新たな市場を切り拓くなど、時代に応じた事業を展開し、再来年に創業100周年を迎える。その3代目社長の松本將氏に、創業者である祖父が遺した教え、運と徳を高め、永続企業をつくる秘訣を伺った。

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「どんな苦労があっても辛抱せいよ、辛抱せいよ」

――御社は建築金物卸売業に始まり、「住宅介護リフォーム」という新たな市場を開拓するなど、時代に応じた事業を展開し、再来年には100周年を迎えるそうですね。
 
当社は大正10(1921)年、祖父・松本六郎によって創業されました。祖父が社長を務めた期間が63年、父・重太郎が20年、私がいま15年なので、あと2年務めると100年になります。
祖父の歩みは『大阪の群像』(三井達雄著)という本に詳しく書かれているんですが、もともと松本家は、江戸時代から加賀・前田家に仕えた武士の家柄で、明治維新後には曾祖父が陸軍士官として西南戦争に従軍しているんです。

――¬武士の家系だったのですね。

ただ、日露戦争の頃に投機の保証人になったことで、曾祖父は家屋敷を手放し、一家離散してしまうんですね。それで八人きょうだいの6番目だった祖父は、11歳で故郷の金沢を離れ、大阪で厳しい丁稚でっち奉公に入り、縫い針卸から小間物屋、帽子・洋傘屋、履物問屋など様々な業種を経験。最後は金物問屋で四年間働いて、22歳の時に独立するんです。
当時の祖父の暮らしぶりは、朝晩は芋粥いもがゆとたくあん、昼に葉物がつく程度で、奉公先の人にいじめられるような非常につらいものだったそうです。なので『大阪の群像』には、困難や苦労が人を立派にするという「艱難汝かんなんなんじたまにす」の言葉が何度も出てくるんですよ。

マツ六創業者 松本六郎氏

――その言葉をみ締め、丁稚奉公の艱難辛苦しんくを耐え忍んだと。
 
晩年の祖父にお見舞いに行った時のことも印象に残っています。病床で「松本の家はなぁ、士族の家やからな、どんな苦労があっても辛抱せいよ、辛抱せいよ」と繰り返し言っておりました。おそらく学校も出ていない、ゼロから事業を興した祖父には、「自分は武士である」という誇りが唯一の心の支え、後ろ盾だったのでしょう。
また、「士魂商才しこんしょうさい」という言葉があるように、武士が商売するからにはもうけのためではなく、世のため人のための商売じゃないといけないという矜持きょうじを心の奥底に持っていたのだろうと思います。

――ああ、儲けのためではなく世のため人のために商売をする。
 
祖父は、「自分は本来、苦労話のたぐいを人にするのは好きではないけれども、将来それを孫や曾孫ひまごが読んで、いささかなりとも明日に生きるためのかてになるやも知れぬと、そんな願いをもって筆をった」ということも言っています。
私も祖父の人生を紐解ひもとく度に、「自分の苦労なんて祖父に比べれば大したことはない」「もっと頑張らないかんな」と、絶えず自らをいましめ、仕事に向き合ってきました。

マツ六社長

松本 將

まつもと・しょう

昭和35年大阪府生まれ。慶應義塾大学大学院修了、60年シャープ入社。63年マツ六入社。金物建材部長、副社長を経て、平成16年より現職。