2019年7月号
特集
命は吾より作す
インタビュー
  • 元トヨタ自動車技監林 南八

かくてトヨタ生産方式を
伝承してきた

世界に誇る日本の自動車メーカー・トヨタ自動車。その技術職の最高ポストといわれる技監を11年務めたのが林 南八氏、76歳である。トヨタ生産方式の生みの親・大野耐一氏らの薫陶を受け、技と魂を伝承すると共に、後進の育成に尽力してきた。戦争の真っ只中に体重1,600グラムの超未熟児で生まれた林氏は、そこからいかにして自らの運命を創り上げ、仕事を発展させてきたのか。波瀾万丈な半生に迫る。

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本インタビューは4月19日に京都で行われた。林氏がメディアに登場するのは極めて稀で、表紙も当初固辞されていたが、今回特別に掲載をお引き受けいただいた。

「鍛える」という文化が消えつつある

——林さんは半世紀以上の長きにわたって、トヨタ一筋の道を歩んでこられましたね。

僕は昭和41(1966)年にトヨタ自動車に入社しまして、トヨタ生産方式(TPS)の生みの親で改善の鬼と呼ばれた大野耐一おおのたいいちさんや、その右腕の鈴村喜久男すずむらきくおさん、社長会長を歴任した張富士夫ちょうふじおさん、元副会長の池渕浩介いけぶちこうすけさんの薫陶くんとうを受けながらトヨタ生産方式の構築にたずさわり、生産現場の改善に一貫して取り組んできました。
あの時代は何しろ黒船(アメリカの大手自動車メーカー)が来るから何とか競争力をつけようと必死だったでしょ。働き方改革なんて関係なかった。家のことは一切やらず、とにかく仕事に没頭する日々を過ごしてたんです。その分女房にはだいぶ負担をかけたので、反省すると共に3人の子供を立派に育ててくれて感謝しています。
トヨタ生産方式とは?

トヨタ生産方式は、「異常が発生したら機械がただちに停止して、不良品を造らない」という考え方(「自動型」)と、各工程が必要なものだけを、流れるように停滞なく生産する考え方(「ジャスト・イン・タイム」)の2つの考え方を柱とし、長い年月の改善を積み重ねて確立されました。
その根底に流れているものは「徹底したムダの排除」の思想です。このシステムにより、1台ずつお客様の要望に合ったクルマを、「確かな品質」で手際よく「タイムリー」に造ることができるのです。
現在もトヨタ自動車の全生産部門において、その進化に向けて昼夜改善努力が続けられており、今日では、「トヨタのモノづくりの精神」は「TOYOTA WAY」と称され、日本国内や自動車産業に留まることなく、世界中のあらゆる分野の生産活動に適用されています。
——技術職の最高ポストといわれる技監ぎかんを11年務め、後進の育成に力を注がれたと伺っています。

5年前に71歳で技監を退任して顧問やアドバイザーを務めたんですけど、去年の暮れでそれも卒業しました。思い残すことはいっぱいあるし、会社がやってることに対して批判的な意見を言う人もいますが、僕は現体制が気に食わんなんてことは一つもない。やっぱりトヨタを愛してるからね。
章男あきおさん(豊田章男社長)をはじめ、友山茂樹ともやましげき(副社長)や朝倉正司あさくらまさし(執行役員TPS本部本部長)、二之夕裕美にのゆひろよし(生産企画本部副本部長)、尾上恭吾おのうえきょうご(TPS本部生産・物流領域領域長)など、僕が徹底的にしごいた後輩たちが僕を凌駕りょうがしつつあるから安心しています。

——豊田章男社長も林さんが育てられたのですか?

僕が製造課長の時、入社2年目の彼を一年預かることになりました。昭和60(1985)年のことです。豊田章一郎しょういちろう社長(当時)のご子息とはいえ、特別扱いしてダメにしてはいけないと思ってね。「うんと叱られたことはあるか」って聞くと「ありません」と。「そうか。それは不幸なことだ。この一年間、幸せにしてやるから覚悟しておけ」と言うと、「よろしくお願いします」と返事した。実際、まったく弱音を吐かなかったんです。大したもんですよ。
数年後、彼はトヨタ生産方式を本格的に勉強したいと僕に志願してきて、地獄のような特訓で課題を与えて追い込みました。結局、僕が10年掛かって習得したことをたった2年で身につけたんです。「あの時のしごきはきつかった。ただ、若い時にああいう訓練は必要だ」と後年言ってるのを聞いて、ホッとしたことを覚えています。
去年の暮れに開いてくれた送別会で、章男さんは体調を壊して出席できなかったけれども、ビデオメッセージをわざわざ送ってくれてね。あれは嬉しかったなぁ。

——林さんの技と魂がしっかりと受け継がれているのですね。

うん。脈々とつながっておる。ただ、いま心配なのはパワハラだとかセクハラだとか言って、「鍛える」という文化が消えちゃってることですね。

——確かにそういう風潮が蔓延まんえんしてきています。

僕が大野さんや鈴村さんから指導を受けてた当時は、いじめかと思っとった(笑)。だけど、いまにして思うと鍛えてくれたなと。先生というのは日頃接してる時にしたわれるんじゃなくて、去った後に尊敬されるのが一番いい先生なんだと思います。

——去った後に尊敬される。それには優しいだけではダメだと。

相手に対する真心というか、愛というか、育ってほしいって切なる思いがあるからこそ、厳しくするわけ。でも、いまは親も教師も上司もそれをやらないでしょ。この先、日本はどうなっちゃうのかなと危惧きぐしています。

元トヨタ自動車技監

林 南八

はやし・なんぱち

昭和18年東京生まれ。41年武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部機械工学科卒業後、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)入社。生産調査部長、理事などを経て、平成13年技監に就任。21~23年取締役。23年技監に再任。26年顧問。その後、アドバイザーを務め、30年12月に引退。現在は中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長を務める。