2019年7月号
特集
命は吾より作す
  • (公財)郷学研修所 安岡正篤記念館副理事長兼所長荒井 桂

立命の書『陰騭録いんしつろく』が
教えるもの

先覚者・安岡正篤師が「立命の書」と呼んだ中国古典『陰騭録』。そこには人間が宿命、運命を自らの力で立命へと転換させるための知恵がちりばめられている。安岡氏の著書『立命の書「陰騭録」を読む』(致知出版社)をもとに、そこに記された先人の智慧を郷学研修所所長・荒井 桂氏に紐解いていただく。

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宿命、運命を立命へと転換させる

これから紹介する『陰騭録いんしつろく』について、先覚者・安岡正篤まさひろ先生はひと言で「立命りつめいの書」と述べられています。『陰騭録』を読み解くにはまず「めい」「立命」とは何かを知らなくてはいけません。本題に入る前に、そのことについて解説しておきましょう。

『論語』を紐解ひもとくと、人生のあり方の要諦ようていとして「命」について説かれた記述が3回出てきます。

1つには為政いせい篇の「五十にして天命を知る」という大変有名な言葉です。

2つ目は季氏きし篇にある「君子に三畏さんい有り。天命をおそれ、大人たいじんを畏れ、聖人のげんを畏る。小人しょうじんは天命を知らずして畏れず。大人にれ、聖人の言をあなどる」という一文です。君子には畏れ戒めるものが3つある。その第一が天命である、というのです。

天命について説明するのは極めて難しいのですが、「天が自分に賦与ふよした使命」と解することができましょう。「五十にして天命を知る」とは、50歳の頃には天命を自覚し、天運の存するところに安んずることができるようになったという孔子の回顧、述懐じゅっかいと読み解くことができます。

「天命」について、古人はこれを「徳命とくめい」「禄命ろくめい」の2つに分けて説きました。「徳命」とは我われが天から授かった道徳上の使命のことです。世の中にはこの徳命を授けられながら、それを知らずまっとうできない人が少なくありません。しかし、君子は常々その使命を畏れつつしんで完了すべく努力を続けていると『論語』は教えています。

「禄命」は我われが人生で遭遇する吉凶禍福きっきょうかふくのことです。これら人力ではいかんともし難い宿命に遭遇しながら、人事を尽くして禄命に安んずることもまた、天命を畏れることだというのです。

『論語』にある3つ目の「命」は、最終章・「堯曰ぎょうえつ篇にある「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」の章句です。「礼を知らざれば、もって立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり」の文章がこれに続きます。

この章句について安岡先生は著書『朝の論語』の中で、「自然と人間を一貫する絶対性、天命を知らないと本当の人間にはなれない。自然も人間も円満な自律、諧和かいか、奉公、すなはち礼によつて存立してゐるのですから、それを知らなければ人間として本当に存立することはできない。また言を知らなければ、すなはち学問・思想・言論が分からなければ、人間といふものを知ることができない」と述べられています。

また、別の章にはこうあります。

「天命とは……造化ぞうか自体の絶対的活動であります。我々はみなその一部分であります。自分がどういふ素質・能力を与へられてをるか、それがどう開発されるか、これが命であります。これを知るのが知命ちめいであります。知つてそれを自主的に発揮してゆく。それが立命であります」

「命」「立命」についての安岡先生の実に端的な定義です。

人生には「宿命」「運命」「立命」の3つがあるといわれますが、自分の努力では動かせないと諦めてしまいがちな宿命を動き変化する運命に変え、その運命を自分の力によって生かし「立命」にしていく、つまり、宿命、運命をいかに立命に転換し、人生を開花させていくか。その極意を説いたのが『陰騭録』という書物なのです。

公益財団法人郷学研修所、安岡正篤記念館副理事長兼所長

荒井 桂

あらい・かつら

昭和10年埼玉県生まれ。東京教育大学文学部卒業(東洋史学専攻)。以来40年間、埼玉県で高校教育、教育行政に従事。平成5年から10年まで埼玉県教育長。在任中、国の教育課程審議会委員並びに経済審議会特別委員等を歴任。16年6月以来現職。安岡教学を次世代に伝える活動に従事。著書に『「格言聯璧」を読む』『「資治通鑑」の名言に学ぶ』『山鹿素行「中朝事実」を読む』『「小學」を読む』『安岡教学の淵源』(いずれも致知出版社)など。