明治37年、日本は世界最大の陸軍国ロシアに戦いを挑み、1年7か月の激闘の末、奇跡的勝利を収めた。有色人種の小さな島国である日本が大国ロシアを破ったというニュースは世界中に衝撃を与え、一躍日本は欧米列強に肩を並べることになった。日露戦争の勝利において類まれな外交手腕を発揮し、戦前・戦後の交渉を担ったのが外務大臣の小村寿太郎であるが、その功績は意外にも知られていない。卓越した外交力や人間的魅力について、「近代随一の外交家」として小村寿太郎の功績を高く評価する岡田幹彦氏に語っていただいた。
小村寿太郎
こむら・じゅたろう
安政4~明治44(1855〜1911)年。日向国(宮崎県)飫肥藩出身。駐韓・駐米・駐露・駐清公使、第一次、第二次桂内閣の外相を歴任。全権委員としてポーツマス講和条約に調印。以後、条約改正、関税自主権の回復、韓国併合などに外交手腕を発揮した。©国立国会図書館「近代日本人の肖像」
日本政策研究センター主任研究員
岡田幹彦
おかだ・みきひこ
昭和21年北海道生まれ。國學院大學中退。学生時代より日本の歴史および人物について研究を続け、月刊『明日への選択』に「上杉鷹山」「勝海舟」等多くの人物伝を執筆、全国各地で講演活動を行っている。現在、日本政策研究センター主任研究員。著書に『乃木希典』『東郷平八郎』『小村寿太郎』(いずれも展転社)など多数。